gundamさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
――というわけで例の話題です。 「いがでん」さんというツイッタラーの発言が炎上しています。
何遍も言うけど、 「女の子がライダーや戦隊を見ていたら、男の子はその子が泣くまで馬鹿にするべき」 そして、それを乗り越えた女の子だけが、特撮ヒーロー好きになる資格がある。 何故かと言うと、 「男の子向けのコンテンツに間借りさせてもらってる」 と認識を持ってもらう必要があるから。
― いがでん (@tokutomi39) 2019年7月3日
「特撮ヒーローは男の子向けコンテンツであり、女の子はそれに間借りさせてもらってる」 という認識がないと 「戦隊リーダーに女子がいないのは差別」 「主役ライダーに女子がいないのは差別」 などという勘違いした怒りを振りまく人間になりかねないし、実際そういうの大勢いるからな。
― いがでん (@tokutomi39) 2019年7月3日
まあ、以上のような次第で、正直、炎上するわなあ、と。二つ目のツイは大いに賛成したいところですが、キホン、 騒ぐ人はツイートをちゃんと見たりもしないことですし 。 ちなみに本件、「ネトラボ」も早速ネタにしています。 「 女の子がライダーや戦隊を見ていたら泣くまで馬鹿にするべき」発言に批判 特撮関係者「特撮はみんなのもの 」という記事なのですが、これ執筆者名がないんですよね……。 彼の言い方は決して誉められたものではありませんし、「コンテンツは万人に開かれているのに、こうした言い方はけしからぬ」という反論も、それだけすくい取れば正論ではあります。 しかし、だからといって、彼を攻撃している側が正しいことにはなりません。 A君とB君のケンカで毎回、A君がB君を殴った時には現れず、B君がA君を殴った時にのみ現れて「はい、ケンカは止め。仲よくしよう」という人は、言ってることは間違っていなくとも、全体から見ると完全に間違っているのです。 当ブログ愛読者の方はもうご承知でしょうが、本件は「ガンダム事変」とそっくりですよね。 簡単にご説明しますと、ぼくが 『ガンダム』は、それに先行する『ロマンロボ』と呼ばれるロボット物の影響が大であろうに、それに比べると女性ファンが少ない気がする。
――と何の気なしにつぶやいたところ、加野瀬未友というライターが前後を抜いて、
『ガンダム』は、女性ファンが少ない。
と言ったのだとして、こちらを攻撃してきたという事件でした *1 。 加野瀬は「兵頭は『 ぼくたちの女災社会 』というけしからぬ本を出した男だ」とあちこちで喧伝し、こちらを攻撃するように唆していました。 もちろん、この「ガンダム事変」と今回では全く前後関係が異なります。「ガンダム事変」においては、加野瀬や彼の子分となってこちらを攻撃してきた連中には一切の理がありません。 彼ら彼女らが、一方的な悪でした 。ひるがえって、いが氏については「ちょっとうかつだなあ」という感じで、あまり同情はできません。 しかし、騒ぎを起こし、相手を攻撃した人々の脳内に生成された快感物質の組成には、双方とも恐らく一切の違いがない。ぼくはその物質について、腑分けをしてみたいと考えるわけです。
*1 詳しくは以下を参照。 「 『ガンダム』ファンの女子は少ない気がすると言っただけで政治的論争に組み込まれちゃった件 」 「 「1stガンダムに女性ファンは少なかったと主張する兵頭新児氏とそれに対する反応」というデマまとめについて 」 「 「ホモソーシャル」というヘンな概念にしがみつく人たち 」 この件においては、彼ら彼女らが「自らを根拠づけるのに必要な、女性差別主義者」を見出すことができず、無理からに冤罪で相手を叩くという振る舞いに出ていたのに対し、今回はいが氏にも批判されるべき点はありましょう。しかし、それでも攻撃者たちの卑劣さが正当化されるわけではないのです。
まず、いが氏はこれを先行する
娘が幼稚園で「リュショウジャーは女の子が見ちゃいけないんだよ」と言われ、帰ってきてから泣いてたらしい 「そんな事は無いよ」といろいろ話したが納得してもらえなかった。ちょっとずつ時間をかけて話していこう 好きな物を好きと言える子になってほしい pic.twitter.com/qSSP1QbtO9
― 春原ロビンソン (@haruhara) 2019年7月1日
というツイに対する「ツッコミ」としてつぶやいています。 現実の女児が関わっている以上、なおのこといが氏は非道い、という意見もあるかもしれません。しかしこれは、そうした現実の子供同士の人間関係に関わる問題だからこそ、「しょうがない」という側面を強く持っているのです。 例えばですが、この女の子が男の子の『リュウソウジャー』ごっこに入れてもらえないとしたら。ぼくが仮に幼稚園の先生であれば、「○○ちゃんもいっしょに遊んであげましょう」と「指導」はするでしょうが、男の子たちが全員やる気をなくして「もう止め」と言ったら、そこまでです。それとも「お前ら全員で『リュウソウジャー』ごっこをしろ」と強制するのが正しい「指導」なのでしょうか。 そう、これは「個人の領域で、強制なんてしようがない」問題なのです。 そこを「男女の性差がないことが正義なのだから、いっしょに遊べ」と言い出したら、それは「ジェンダーフリー」と同様のファシズムを導入するしかない *2 。 *2「ジェンダーフリー」の児童虐待ぶりについては例えば「 秋だ一番! 男性学祭り!!(その2.『男子問題の時代?』) 」を参照。 そしてまた、これはもう一つの問題を含んでいます。 今回、いが氏に対しての意見として、「お前は『プリキュア』を見ている男児にも同じことを言うのか」などと言っている者がいました。この軽率な発言はいわゆる「ツイフェミ」のおかしな発言と同様です。よくツイッターでも指摘されていますよね、「ツイフェミ」が「男(オタク)ども、お前たちは私たち女のように性的搾取を受けて(オタクであるとバカにされて)平気なのか」などと自信満々で言っているが、BLしかり男がそれくらいの性的搾取を受けていること、ないしオタクがバカにされていることなど日常茶飯事。男性(オタク)側は「( ゚д゚)ポカーン」とするしかない、といったことが。 上の発言もそれと全く同じです。 『プリキュア』ごっこに入りたがる男児と、『リュウソウジャー』ごっこに入りたがる女児。子供社会のみならず、大人社会においても風当たりの強いのがどちらかは、言うまでもないのですから。
「戦隊やライダーを好きな女の子がいたら泣くまで馬鹿にしろ」とかいうわんぱく薄らハゲの主張と 「男の子でもお姫様になっていいし、なんならプリキュアになったっていい」という東映からのメッセージ 正しいのはどちらかなんて考えるまでもないよな
― DSK (@dskdsk07) 2019年7月4日
上のような発言も見られました。 引用しておいてナンですが、全くもって醜悪奇怪だと思います。 何となれば、件の( KTBアニキに絶賛された )男の娘プリキュア、実際のところ一話限りの登場に留まっていて、男性プリキュアはレギュラーとしてはいませんよね。それに比べ、戦隊ヒーローは五人のうち女性が二人の体制が普通です。どう考えても(これに限らず、あらゆる局面において)異性へのガードの固さは、女性の方が絶対的圧倒的究極的に強い。それを無視して、男性だけを叩くのは、全くもっておぞましいまでの腐臭を放つ欺瞞に満ちています。 事実、いかに「正しい」といったところで(「正しい」のなら、そうなるべきであろうに)、『プリキュア』が全員男に、戦隊は全員女になるなんてことあり得ない。否、こうした人たちは「(全員とは言わないまでも)そうあるべき」と、ジェンダーフリー的な作品をこそ、至上としているのでしょう。しかし、当たり前の話ですが、そうした状況は永久に、訪れない。つまり彼ら彼女らの「べき」論は一般の感覚とは全く、乖離しているのです。 彼ら彼女らの中には自分の思惑通りにならない「愚かな一般的人」への鼻持ちならない差別意識があり、普段はそれを押し隠しているが、うっかりシッポを出してしまった者(今回であれば、いが氏)を見つけるや、 動物の腐乱死体を見つけた時のハイエナのような、負傷して身体を痙攣させているイワシを見つけた時のサメのような、ホームレスを見つけた時のDQNのような、障害者を見つけた時の植松のようなまぶしい笑顔 で一斉に飛びかかり、集団でバッシングするのです。
「セーラームーンは女子のもの。男子オタクの文化だというのは文化略奪」とか、「特撮を女子が楽しむなら泣くまで詰められるべき」などの文化的偏見が飛び交っていますが、みなさん、もう令和だということ忘れていませんか。
― 青識亜論(令和元年度) (@dokuninjin_blue) 2019年7月4日
今回、青眼鏡が上のようなことを言っていました。 実のところ、この二つの問題を並列させているのはなかなかいいと思いました( 平板で一本調子な「ジェンダーフリー」を素朴に信じている、純真無垢な人間 、というのがぼくの彼に対する評価なのですが、それを証明するような発言です)。 この言わば「セラムン事変」、これはこれで別に語らねばならぬほどに複雑な論点を持つ問題なのですが、要するに本件とは全く逆の、「『セラムン』は女性のものなのだから、男は出て行け」みたいなツイートが少し前、炎上していたのです。 ただ、上に「炎上」とは書いたもののこっちについては、togetterなどにまとめられた気配はなく、いつの間にか鎮火してしまった。いずれにせよ、問題にするならば双方を同じ重さで問題化すべきであろうに、実際にはそうなってはいない。この事実がそのまま、本件の不当性の証明になっているのです。
これら事件は「男性のホモソーシャリティは厳しく糾弾されるが、女性のそれは許容される」とまとめてしまうことができましょう。先にも繰り返したように、実際に異性に対してガードが固いのは女性の方です。 上野千鶴子師匠はそうした反論に対し、「男たちはつるむことで男だけでリソースを独占している。女の側には守るべきリソースなどないのだから、そのホモソーシャリティ(ガードの固さ)を批判するにはあたらないのだ」と再反論しています。しかしむろん、これは苦しい言い訳です。もし本当に男性がリソースを独占しているなら、わざわざ「ホモソーシャル」などという造語を作るまでもなく、その事実を指摘すればよいだけのハナシなのですから。 結局、「女性が男性の領域に進出することは、(タブーとされるという建前があるものの裏腹に)全てよきこととして大仰に称揚され、その逆は(表向きはよきこととされるが、それとは裏腹に)全くもって歓迎されない」という状況の、これは一端だったわけです。 これは時々指摘する、「女流少年漫画家バッシング」にも共通した問題です *3 。 「ネット上では女流少年漫画家に対するバッシングが溢れており、けしからぬ」というのが通説ですが、第一に、バッシングという言葉とは裏腹に、この種の批判は実のところ「唐突な鬱展開がウザい」「BL展開がウザい」といった内容に関することばかりで、ただ女であることを理由に排除しようとする意見など、少なくともぼくは見たこともありません。しかしそれすらもがけしからぬと言われては、「女性様の描く表現には、いかなる場合も否定的評価を与えることはまかりならん」というのと同様だし、既にそれに近いムードは醸成されておりましょう。 第二に、ものすごく単純に、例えば「男流少女漫画家」に対するバッシングなど見たこともありませんが、それは純粋に、女性向けの漫画を描く男性というのが大変に例外的な存在だからです。ここにも、「女性が男性の領域に進出することは、全てよきこととして大仰に称揚され、その逆は全くもって歓迎されない」という状況の一端が現れているわけです。男性は文句を言われる段階にすら達していないという単純な事実から、この種の論者は全力で目を伏せているのです。 更にもう一つ、これはまた、少し前にこだわった『トクサツガガガ』 *4 と同じですね(今思ったんですけど、 この漫画で今回のテーマが採り挙げられたら嫌だなあ…… )。 繰り返しになりますが、簡単にまとめますと、この『トクサツガガガ』は女性オタクがやたらと「特オタだとイケメンファンだと思われる」だの「アイドルオタだとそのアイドルと結婚したいと思っていると思われる」だの、正直取るに足りぬとしか思われぬことでお傷つきになっておいでの描写が延々延々、延々延々、延々延々繰り返される、という漫画。 ところが本作には『プリキュア』的な美少女アニメのファンである男性も登場します。「あぁ、これじゃ男の方が辛いってバレちゃうじゃん」とはらはらしながら読んでいると、その男性は母親に「犯罪を犯すんじゃないか」などと思われるなど、辛い目に遭ってきたにも関わらず、そこが非常にさらっと流され、また女性側の愚痴が延々延々と続く、という仕掛けなのです。 別に作者自身が悪人というわけではないし、この男性キャラを愛情持って描いている部分もあるのですが、読んでいて、「本当に、ここまで、男というのは軽んじてしかるべき存在であるというコンセンサスが、世の中では徹底されているのだなあ」との感想しか湧いてきません。 突きつめて言えば「男の辛みは女のそれに対して理解、共感されにくい」ことそのものは、ぼくは「仕方ない」と考えます。ある程度は、ですが。 しかしそこを「仕方ない」と言う人は、冗談でもジェンダーフリーなどと言うべきではないし、もちろん「特撮を観る女性」を神のごとく称揚してはならないのです。 *3「 まんが極道 」の「女総屑くん」について書かれている辺りを参照。 *4「 フェミナチガガガ 」「 フェミナチガガガ(その2) 」「 フェミナチガガガ(その3) 」をそれぞれ参照。
え~と、後は何かブレクジットとかシャルリー・エブド事件とかも持ち出したかったのですが、もう疲れました。 いが氏の発言は非常に問題のあるものですが、その根底にある「男の子向け/女の子向け」コンテンツはある程度分けた方がいい、との意見に、ぼくは賛成します。 というのは、「移民」が来て、その「移民」とパワーバランスが異なった時、「いろいろなこと」が起きすぎてしまうからです。 少なくとも、 オタクを親の仇のごとくに憎んでゾウリムシくらいに見下していたくせに、『エヴァ』以降、オタク文化がカネになると知るやすり寄ってきて、いまやオタクの味方のようなツラをしているお歴々のまぶしい笑顔 を見るに、「何でもかんでも移民を受け容れるのが正しい」という考え方が間違っていることだけは、よくわかります 「何でもかんでも多文化共生が正しい」という考え方はもう、古いのです。 そういうわけで、何というか、終わり。
「女災」とは「女性災害」の略。
男性と女性のジェンダーバイアスを原因とする、男性が女性から被る諸々の被害をこう表現します。
このブログでは女性災害に対する防災対策的論評を行っていきたいと思います。
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