結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2019年8月13日 Vol.385
目次
- 学んだことを自分は理解しているのか - 学ぶときの心がけ
- 「ナラティブ」を書く - 仕事の心がけ
- 図形問題で誤差はどこまで許されるのか - 学ぶときの心がけ
- ネットでの言葉の選び方 - コミュニケーションのヒント
- 創作における挑戦と上手くいかないイライラ
はじめに
結城浩です。
いつもご愛読ありがとうございます。
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「理想の書店」の話。
「結城さんにとって『理想の書店』とは、どんなものですか」という質問をいただきました。
「理想の書店とは何か」……これは、なかなか魅惑的な問いですね。しかしながら考えてみると答えるのが難しい問いでもあります。しばらく考え込んでしまいました。あなたもちょっと考えてみてください。あなたにとって「理想の書店」とは、どんなものですか。
私は、ずばりと答えるのが難しいと判断して、「理想の書店」に必要な要素を考えることにしました。つまり、いやしくも「理想の書店」ならば、こういう要素は外せないというものを探すのです。さらに、現実的な制約を取っ払って考えることにしました。何しろ「理想の書店」なんですから。
私が考えたのは「『理想の書店』は、そこに行くたびに何かしら新しい発見があるような書店である」ということでした。どういう本があるか、自分の家から近いか、本の値段がどうか、そういう要素も考えたのですが、どうも「理想の書店」に不可欠な要素とは思えません。でも、もしも、「そこに行くたびに何かしら新しい発見がある」としたら? うん、それは「理想の書店」にかなり近いのではないでしょうか。それが現実に実現できるかどうかはわかりませんけれど。
「こういう本があるところが理想の書店」と自分で指定するのは、自分の思考の枠内に発想が収まってしまう危険性があります。どういう本が置いてあるか、どんな本の並びになっているかも含めて、私に発見をうながしてくれるような書店があるとしたら、それはすばらしい。自分の家から遠くても通いそうです。本の値段が高くても買ってしまいそうです。
ネット書店が便利になるにつれ、リアル書店を利用する度合いが減っています。特に私の場合には「この本を買う」と決めて買うことが多いので、ネット書店が楽だからです。でも「何の本を買うべきかわからない」状態のとき、ネット書店はかなり非力です。ネット書店での散策はレコメンデーションにあふれすぎていて、ちっとも散策にならないからです。
書名がわかっていて本を買うだけなら、あとは値段や到着までの時間くらいしか書店間に違いが生じません。でも「そこに行くたびに何かしら新しい発見があるような書店」が仮にあったとしたら、その書店の価値は非常に大きなものになります。代替困難な体験、他とは比較不可能な経験を提供してくれるからです。
ところで、ここまで書いてきて気付いたのですが、「理想の書店」を引き合いに出すまでもなく、私はリアル書店に足を運ぶときには、そこに「何かしら新しい発見」を求めているようです。本を買うのが主目的としてリアル書店に行くのではありません。自分が知らない新しい本と出会い、ネットでは気付きにくい世の中のトレンドに触れるためにリアル書店に行くことが多いのです。
しっかりしたクオリティコントロールがなされているならば、書店とカフェの併設にも魅力を感じます。そこに入場するだけでお金を払ってもいいくらいです。
「理想の書店とは?」と問われたら、あなたは何と答えますか。
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珍しいノマドワーカーの話。
通常のオフィスではなくカフェなどを巡って仕事している人を「ノマドワーカー」と呼ぶことがあります。
結城もノマドワーカーといえます。結城はカフェやファーストフード店や図書館などを使って仕事をしています。ネット経由で仕事ができるので、物理的に自分がどこにいるかはあまり重要ではありません。
ところで先日、非常にめずらしいノマドワーカーを発見しました。
がちゃがちゃとにぎわっているフードコートでアイスコーヒーを飲みながら、ふと斜向かいの席を見たところ、お爺さんが一人静かに「古文書の修復作業」をしていたのです。とても、びっくりしました。
古文書の修復作業をしているノマドワーカー発見!
たぶん、お爺さんが個人的に所蔵している古文書なのでしょうけれど(でないと問題がありますよね)、「古文書の修復作業」はさすがに作業場所を選んだ方がいいのではないかと思います。何しろ、ジュースをコップに入れた子供達がすぐそばを走り抜けていく環境なんですから……。
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では、今回も結城メルマガをどうぞごゆっくりお読みください。