結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2019年11月26日 Vol.400
目次
- 人と親しくなりたいとき - コミュニケーションのヒント
- 大学二年生、単位を落とすのが恐い
- 科学を基礎から勉強するには - 学ぶときの心がけ
- 書きたい題材をどうやって見つけるか - 本を書く心がけ
はじめに
結城浩です。
いつもご愛読ありがとうございます。
とうとう今回で Vol.400 です!
このメールマガジンを始めたのは2012年4月のこと。
早くも約7年8ヶ月ほど経ったんですねえ!
2012年というと『数学ガール/ガロア理論』が出た年ですから、『数学ガール/ポアンカレ予想』は影も形もなく、「数学ガールの秘密ノート」シリーズも一冊も出ておらず、『数学文章作法 基礎編』も出ていないときですね。ずいぶん長い時間続けてきたことになります。
「結城メルマガ」は最初からオムニバス形式でいろんな話題が含まれていました。それは当時から変わりません。その中でも言葉やコミュニケーションにまつわるお話が多いという点も変わらないですね。
これからも末永く応援よろしくお願いいたします!
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新刊の話。
『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』が発売になりました!
さっそくたくさんの方から買いました!読みました!というメッセージをいただいています。ありがとうございます!
「学ぶこと」に慣れていない中学生の「ノナちゃん」が、高校生の「僕」と対話しながら一歩一歩「理解する」ということを理解していく物語ですが、学んでいるのはノナちゃんだけではないかもしれません。
ようやく形になった新刊、ぜひ、応援してくださいね!
◆『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』
https://note12.hyuki.net/
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半額セールの話。
アマゾンで結城のKindle本が《半額セール》になっています!
対象になっているのは『プログラマの数学 第2版』や『第3版 暗号技術入門 秘密の国のアリス』を初めとする五冊です。
対象になっている本は以下からリンクされていますので、ぜひご確認ください。
◆半額セール!
https://rentwi.hyuki.net/?1198771024638070784
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耳栓の話。
結城はふだん、カフェなどで執筆をしています。にぎやかなときには耳栓代わりにノイズキャンセリングイヤフォンを使って音楽を聴きながら書き物をします。
ところで2019年の8月ころからふとイヤフォンではなく「耳栓」を使い始めることにしました。理由は一応「耳が音を聞き続けることの負担軽減のため」なのですが、単にやってみたいからという方が正直な理由かも。
使っている耳栓はこれです。それほど高いものではありません。2個で1ペアになっており、簡易的な紙の個包装になっています(アマゾンの商品紹介には1ペアずつビニール個包装とありますが、私に送られてきたのは紙でした)。軽いので数ペアをいつもカバンに放り込んでいます。
◆スリーエムのEAR Classic(10ペア)
https://www.amazon.co.jp/dp/B019CCJHT6/?tag=hyuki-22
ずっとこの耳栓を使っていますが、音楽がなくても仕事はふつうに進むということがわかりました。何となく「音楽がなければ仕事は進まない」と思い込んでいましたが、そんなことはまったくありませんでした。
カフェでの執筆以外、たとえば電車での移動でも耳栓を使うことがあります。絶え間ない電車の音や、近くに座った人のおしゃべりも気になりません。旅行先で音が気になって眠りにくいときなどにも有効です。耳栓、なかなかいいですよ。
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寛容になる話。
音といえば、難聴の店員さんが聞き返したらお客さんに怒られたという話題を先日見かけました。
個別の事情があるのかもしれませんけれど「何かがうまくできない」ことに関して、お互いにある程度は寛容になりたいものだと思います。
確かに「聞き返す」や「聞き返される」という行為が互いにストレスを与えるのはよく理解できます。コミュニケーション上の認知バグが混入するからです。つまり「聞き返す」行為を「あなたの発言を軽視してる」と誤認するケースがあるのです。ここを克服するのは意外に難しいでしょうね。
一般論になります。たとえ話の受け答えが現在スムーズにできる人であっても、年齢が加わるにつれて、次のような現象はふつうに起きます。私の体験です(一般論じゃないじゃん)。
「話す」に関して:頭の中では文章ができているのだけれど、口がうまく回らなくて発音が不明瞭になり、その結果、相手が聞き取りにくくなる。音としてうまく出せていないだけなのに、相手にはちゃんと考えていないような印象を与える。
「聞く」に関して:音量は十分あって、音としては聞こえているのだけれど、高い音(高調波成分)が聞き取りにくい。その結果、相手が何を言っているのかわからない。相手が大きな声で言い直しても、聞き取りやすさには寄与しない。
「話す」についても「聞く」にしても、相手とのやりとりはしばしば微妙なニュアンスを持ちます。ちょっとした間が不信感を生むこともあります。言葉のやりとりは言葉だけにとどまらないので難しいのですね。
ですから「うまくできない」ことに対して互いに寛容になりたいものだと思っています。高齢社会へ向けて、社会全体が学ぶべきことは多々あるでしょうね。だからこそ、気づいたときには寛容になりたい。
話はずれます。言葉のちょっとしたやりとりで落ち込む人や、気持ちをひきずる人や、くよくよ考え込む人は、いわば繊細な人です。そのような繊細な人は、実はその繊細さによって社会を支えているのではないかとよく思います。人の痛みを感じることができるからです。
家を考えればよくわかります。どんなに揺さぶられても動かない土台や大黒柱は大事です。でも、それだけで家はできません。ガラス窓やレースのカーテンや、キャンドルライトや玄関の鍵。それぞれの役割を担った存在があるから、家は素敵な家になる。社会も同じです。みんなが少しずつ寛容になって自分と異なる存在を認め合ってこそ健全な社会といえるでしょう。
そんなことを思います。
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では、今回の結城メルマガも、どうぞごゆっくりお読みください。