世界が認めた「斬られ役」福本清三


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酒は飲まない。「趣味は盆栽くらいかな。水やりを忘れ、枯れてしまったと思ってたら、春に芽吹くことも。生命力を感じます」

京都・太秦の東映京都撮影所で、斬られ役として時代劇を支え続けて半世紀以上。「5万回斬られた男」の異名を持つ。70歳を過ぎたが、映画への出演を続ける。  

『大部屋俳優なので、通行人とか、駕籠(かご)かきとか、何でもやってきました。若い頃は、スタントもよくやりました。 今でも撮影があれば、通行人とか、船頭とか、何でもやりますよ。昨日だって、鎧(よろい)を着て歩いてきましたわ。昔は、重い鎧着て一日中走ってましたけど、2年ほど前に肺気腫で体調が悪化し、肺活量も落ち、歩くだけでも大変。年の近い俳優仲間と「あの頃は若かった」「年には勝てんわ」って、笑ってます。 最近は、出演映画の上映会などにゲストで呼ばれ、お客さんを前に話すことも増えました。ありがたいことですが、どうも恥ずかしくて。せりふがあっても、うまくしゃべれへんのに、人前でどうしゃべりますのんや。』

「人前で何かやる」のは、幼い頃から苦手

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<兵庫県香住町(現・香美町)の自然豊かな田舎町で生まれ育った。中学卒業後は、親戚が営む京都の米屋で働いたが、なじめず、15歳の時、同撮影所に入った。>

『人前で何かやるというのは、幼い頃から苦手でした。地元では、毎年秋の収穫祭があって、その年の小学6年生が大人の前で踊らされるんですわ。それがもう、恥ずかしくてね。 田舎の三男坊ですから、中学卒業したら家を出て仕事を探さないといけない。長男以外は、街に出て住み込みで働くのが多かった。米屋の店頭で、愛想良く、大きな声で「まいど、おおきに!」って言わないといけないのに、言えなくて。半年間でやめました。 そんな性格だから、俳優になるなんて考えてもいなかった。当時は映画全盛期で、京都撮影所で月10本ぐらいは撮っていて、大部屋だけでも400人ぐらいいました。叔父が仕事で出入りしていて、よく分からないまま付いていったら、「あしたから来るか」ってことになって。親にも「お前みたいなもんができるんかいな」って、言われてましたよ。』

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