【本号の目次】
1. 描眼入魂
2. 寄贈
3. 表装・軸装
4. お披露目
描 眼 入 魂
丸々一日をかけて一枚目の魚拓がほぼ仕上がった。翌日は龍香師匠とインターナショナル魚拓香房のメンバーが二枚目の製作に取り掛かった。これは龍香師匠と魚拓香房の作品となるので午前中、私はタンポ打ちに積極的には参加しなかった。正直に言えば、ホルマリンの匂いと目を刺激する空気が充満している作業場に、ちょっと嫌気がさしていたのも事実である。午後に仕事の合間に裏のプレハブまで足を運んで進捗状況を覗いてみた。
二枚目の魚拓にもう一本の触腕をタンポする
二枚目の魚拓にもう一本の触腕をタンポする
ホルマリンの匂いは昨日ほどではない。皆さん黙々とタンポを打っている。二回目とあって手慣れたものである。私もタンポ打ちに加わらせてもらった。科博に寄贈される一枚目は、実物の標本通り片方の触腕が途中で切れたまま写したが、龍香師匠の作品となる二枚目は、切れていない触腕の先端部分を切れている方に繋いで、あたかも二本の触腕があるように手を加えて芸術性を高めていた。触腕の吸盤角質環には銀が刷かれている。龍香師匠の魚拓アーティストとしての面目躍如である。ある程度仕上がった二枚の魚拓は、龍香師匠のアトリエに移されて最後に龍香師匠の筆で眼を描き入れることになった。画龍点睛ならぬ、描眼入魂である。
龍香師匠が眼を描き入れた一枚目のダイオウイカ魚拓
寄 贈
龍香師匠が二枚の魚拓をアトリエに持ち帰って1週間が経ち、魚拓が完成したとの連絡が入った。上司である友国動物研究部長に相談して、寄贈を受けるためのセレモニーをする運びとなった。新宿分館の多目的ホールを会場にして、龍香師匠をはじめダイオウイカ魚拓製作に携わったインターナショナル魚拓香房の皆さんも招待した。友国部長から寄贈受付の書類が龍香師匠に手渡され、丁寧に畳まれたダイオウイカの魚拓が手渡された。早速、舞台のバトンレールに魚拓を広げて横に吊り下げて、お披露目となった。大きいというより、横に長~い作品である。
寄贈セレモニーの舞台の上で寄贈受付の書類を交換する、龍香師匠と友国動物研究部長
背側が赤褐色で腹側が銀白色にグラデーションがかかっている。太く長い腕が重なり合って広がり、一本の触腕が長く伸びて先端には吸盤に銀を捺された触腕穂がある。大きな眼は、黒の瞳に白点を入れて生きているように描いてある。素晴らしい作品である。左下にダイオウイカの採集場所、日時、外套膜の長さなどの記録と魚拓製作に携わった全メンバーの名前が記されていた。作品をバックに全員で記念写真をとったことは言うまでもない。
魚拓に携わったインターナショナル魚拓香房のメンバーと集合写真
魚拓の左下に記された魚拓製作に携わったメンバーの署名と落款
魚拓に携わったインターナショナル魚拓香房のメンバーと集合写真
魚拓の左下に記された魚拓製作に携わったメンバーの署名と落款
龍香師匠の作品となる二枚目は、黒の瞳の中に薄っすらとマッコウクジラのシルエットを描き入れて、ダイオウイカが深海でマッコウクジラと遭遇している様子を彷彿とさせる、不思議な雰囲気の芸術作品となった。
山本龍香作品となる二枚目のダイオウイカ・カラー魚拓。眼の中に薄っすらとマッコウクジラの影
表 装・軸 装
寄贈していただいたカラー魚拓は薄い化繊の布が一枚で、魚拓した時の皺や汚れも残っており、そのままでは一般にお披露目するには、ちょっと貧相な感じが拭えなかった。皆さんに鑑賞してもらうには、ある程度体裁を整える必要がある。そこで日本画や書の掛け軸のように、裏打ちをして表装したら見栄えがするのではないかと考えた。しかし、科学研究助成費をそれに充てるのは本末転倒のような気がした。そこでカラー魚拓製作の経緯と魚拓の使い道などを書面にして佐々木館長に直訴したところ、展示や講演会などで有効に使えるのであれば表装しましょうと、館長按分の予算を付けてくれた。
上野にある表装・軸装の専門店、笠井劫榮麓の若社長に相談したところ、「今までそんなに大きな作品を手掛けたことはないが、何とかやってみます」との返事をもらった。魚拓を預けて三週間ほどたって、掛け軸のように丸められた魚拓が長い箱にいれられて手元に届いた。広げてみると、皺や汚れが落とされて濃紺の枠に囲まれた、ダイオウイカの美しいカラー魚拓が完成していた。
お 披 露 目
この年の秋、国立科学博物館と地方の博物館のコラボの一環として、鳥取県岩美町の海岸に立つ鳥取県立博物館の山陰海岸学習館で「知られざるイカのひみつ!」のイベントが企画された。その中で私の「深海の巨大イカ類の謎に迫る」とタイトルをつけた講演会にあわせてダイオウイカのカラー魚拓を初めて一般に公開した。地元の新聞四社が記事に取り上げてくれたこともあり、多くの人が来館して講演を聞いて、ダイオウイカの魚拓を鑑賞してくれた。先生の話も面白かったが、「こんな美しくて大きなイカの魚拓を見て感動した」との声をいただいた。
鳥取県博物館、山陰海岸学習館で開催された「知られざるイカのひみつ」に展示されたダイオウイカ・カラー魚拓
学習館で「深海の巨大イカ類の謎に迫る」の講演会に参加してくれた皆さん
鳥取県博物館、山陰海岸学習館で開催された「知られざるイカのひみつ」に展示されたダイオウイカ・カラー魚拓
学習館で「深海の巨大イカ類の謎に迫る」の講演会に参加してくれた皆さん
その後も地方の博物館の企画展や水族館のイベントで、深海の生物の展示やダイオウイカの講演を依頼された時には、このカラー魚拓を皆さんに見てもらい、生きている時のダイオウイカの姿や色合いを感じてもらった。その中でも特に、2015年11月に函館で開催された、世界のイカ・タコ類の専門研究者が三年おきに集まり、研究発表と交流を図る国際頭足類諮問評議会(CIAC)シンポジウムの会場の壁に横吊りされたダイオウイカ・カラー魚拓は、海外から来た多くの研究者の注目を集めた。日本の伝統に基づいたカラー拓本技法に驚き、さらに美術作品としても高く評価してくれたようである。
2015年11月、函館で開催された国際頭足類諮問評議会シンポジウムの会場に吊るされたダイオウイカ・カラー魚拓