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小池壮彦 怪奇探偵ブロマガ vol.34
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小池壮彦 怪奇探偵ブロマガ vol.34

2013-12-31 23:59
     Vol.32で書いたように、GHQは戦後の神道指令で〝国家神道〟に対する平凡な理解のもとに日本の神社政策を解体した。米国には大きく分けて2派があり、日本の占領政策はまったく見事に成功したという見方がある一方で、あれでは相当に手ぬるかったのだという見方もある。満州が共産圏の手に渡って朝鮮半島情勢が一気に揺らいだとき、マッカーサーは近代の日本の大陸政策の役割を初めて理解し、日本の再軍備を急がざるを得なくなった。その精神的支柱としての靖国神社も残しておいてよかったというのが当時の米国の政治的判断である。しかし、それが手ぬるかったと考えるのが主として米国民主党の人々であって、彼らはこれを禍根を残したものと捉えている。日本殲滅の狂気に取り付かれたフランクリン・ルーズベルトが生きていたら、戦後政策はもっと厳しいものになっていたはずである。

     日本の首相が靖国神社に参拝しても、申し訳程度に批判するだけの北朝鮮は、この問題にあまり関心を持っていないかのようである。今回も平壌放送が形式的に「軍国主義の亡霊をよみがえらせる」策動と言ったらしいが、むしろおまえらが亡霊だろうという話であって、大日本帝国の衣鉢を継ぐ北朝鮮にとって靖国神社を批判する動機は本来的に存在しない。日本でも北朝鮮とのパイプを持つ政治家ほど首相の靖国神社参拝を推奨する。小泉・安倍それから飯島勲とかいう人物がそれである。戦没者を尊崇するという建前を利用しながら北に利する行動を展開しているわけだが、これはすでに参拝は是か非かという問題ではなく、中共との対峙を鮮明にし始めた金王朝(高句麗)と日本との裏の関係、そして中共に擦り寄るしかない自滅寸前の韓国(新羅)という古代以来の地政学的構図の問題である。

     北朝鮮はいまでも〝王殺し〟を普通におこなう国だが、一方でいまの韓国は新羅といっても古代新羅とは別物である。いずれ述べるが『日本書紀』に見られる反新羅の構想には鵜呑みにできない点があり、むしろ古代新羅は日本の中枢と友好関係を持っていた。白村江の戦いを経て統一新羅の形成に尽力した智将・金庾信(きん ゆしん)はもともと新羅の人ではなく、倭国と関係の深かった加羅諸国の王家の人である。倭国滅亡から日本建国に際しても暗躍したと見られ、皇室史の鍵を握る人でもある。しかし現在の韓国は統一新羅滅亡後の異民族の後裔であって、政治的に未熟なまま近代に至った。自分たちと北朝鮮とが同族国家ではないことにも気づいておらず、北朝鮮と日本との関係も見損なっている。古代の支配層が素性を消して今日まで潜伏するのは日本だけだが、それはとりもなおさず、古代新羅、古代百済、古代高句麗の支配層がチャイナに対峙する新国家形成にともなって日本で融合したということなのだ。

     北朝鮮の王朝継承が常に子供による親殺しの気配を見せているのは、ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』に言われる〝王殺し〟の残存である。『金枝篇』は19世紀末に英国で刊行され、日本で最初に原書を取り寄せて読んだのは柳田國男と言われているが、その前に英国遊学中の南方熊楠が原書を読んでいて、南方が柳田にこの書の存在を教示したという。知識人の間でよく読まれたわりには戦前には翻訳されないままだったが、大正13年(1924年)に東京帝国大学の学生だった岡正雄が卒業論文の執筆のために『金枝篇』を読み、その要点を記したフレイザーの『王制の呪的起源』を翻訳・出版しようとしたことがある。そのときに岡正雄は初めて柳田國男の家を訪ね、フレイザー翻訳本の序文を書いてほしいと頼んだ。すると柳田は即座に拒否し、「僕は書かない」ときっぱり断った。そして、岡に対してこう言ったという。

     君、それを出すんだったら、僕は反対するよ。

     柳田が出版を許さなければ、岡にはどうすることもできなかった。柳田は、エスノロジー(民族学)で身を立てようとしている岡正雄のことを高く評価はしたが、最初の出会いからこんな具合であるから、その後の両者の関係は決して良くはなかった。このエピソードは佐野真一氏の『旅する巨人』にも取り入れられているが、佐野氏の本はさまざまな逸話をカタログ的に貼り付けているおもしろさはあるものの、その背景に話が行かないので、柳田國男の岡正雄に対する冷たい仕打ちが何を意味するのかという、本当のおもしろさまでは入り込んでいかない憾みがある。しいて言えば、実は岡正雄が柳田の娘に恋心を抱いていて、それを柳田が許さなかったことへの遺恨みたいな話に触れているのはそれなりに笑えるが、このゴシップの真相も結局不明なのである。

     ところで、柳田國男がなぜフレイザーの翻訳を許さなかったかという理由について、岡正雄は晩年におこなわれたインタビューで次のように述べている。

     先生がどうして反対されたのか、当時僕にはよくわからなかった。しかしこの本がくだらない本だからというわけではなかったと思いますが。先生は原始的、古代的王制の性格について、フレイザーのいうことに充分理解をもっておられたと思うのです。それでこの日本版が日本において安易に類比されるのを心配された配慮からではなかったかと思うのです。

     フレイザーの言う「古代的王制の性格」というのは、とりもなおさず〝王殺し〟の問題である。つまり、天皇の秘密に関わってくることなのである。
     
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