新・天皇メッセージの深層
   ――反体制の星になった天皇②


▼天皇のお言葉をめぐる動静

 去る1月23日の『東洋経済オンライン』に、政治学者ジェフリー・キングストン氏の「日本のリベラリズムの危機」という論説が載った。その第1回目のタイトルは『天皇はなぜ「満州事変」に言及したのか』というものだった。連載は1月23~25日の3回で終わったが、本ブロマガの前回vol.59で述べた傾向のひとつが、こうしたメディアの動きにもあらわれている。

 キングストン氏は、安倍首相を歴史修正主義者と見て、天皇陛下をそれに対立するリベラリストと見ている。この図式は、前回述べたように、近年巷でよく言われる見方の類型である。たとえば、若杉冽氏の小説『東京ブラックアウト』には、天皇陛下が原発政策に疑義を呈するシーンがある。この本の末尾には、天皇陛下への請願先さえ書かれている。また、元外交官の孫崎享氏も、今年1月9日のツイッターで、安倍首相の行動は「現天皇の考えと逆」であると述べている。こうしたレトリックが、主に政権を批判する側から提示される現象が目立つ。

 だいたいにおいて日本人は、都合のいいときだけ天皇を持ち出すが、その奴隷根性を私は笑えない。私にもその種のメンタリティはあるし、なぜかそれは物心ついた頃からすでにあったからである。その理由がわからなかったゆえに、子供の頃に国学の扉を開いたのだが、それはともかく、外国人であるキングストン氏が今上天皇を〝日本のリベラリズム〟の象徴と見るのは、単に氏の思想的傾向に由来するだけではなく、後に示すように、確かに今上天皇はそれらしき政治的文脈に関わる発言をしてきた経緯があるからだ。

 そのためなのか、テレビのニュースでは天皇のお言葉を報道するとき、政治的と思われる部分をカットして報じているという話がある。ニュースの編集は通常でも大胆におこなわれるので、どこまで意識してそれがなされているかは不明だが、マスメディアへの信頼感のなさとあいまって、視聴者のフラストレーションを高める結果になっているのは事実だろう。

 今上天皇の考えがどのようなものかというのは、皇太子時代からの発言や、即位後の朝見の儀以来の会見、また園遊会などでのお言葉から知ることができる。それは一貫して日本国憲法の遵守であって、いわゆる護憲派の人々は、そのお言葉を拠り所としているらしい。また平成16年(2004年)の秋の園遊会で、国旗・国歌の扱いに言及した故米長邦雄氏に対して、天皇陛下は「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」とお答えになった。

 あのとき、私の周辺で話題になったのは、もし昭和天皇なら「あ、そう」と受け流して終わりだっただろうということだった。しかし、今上陛下は意外にものを言われる天皇であることがわかったので、今後もその傾向を続けられるのだろうかという関心があった。そこで、キングストン氏が話題にした問題、すなわち今年の新年に天皇陛下が公にした感想だが、陛下は今年が終戦から70年という節目にあたることについて、次のように述べた。

 本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京をはじめとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。

 青字は引用者による着色。以下同。

 このお言葉は、すべて官僚が作ったならば、「満州事変に始まる」という文言は絶対に入らないはずである。なぜなら、先の大戦がいつから始まるかというのは、歴史解釈の領分に入ってくるからだ。解釈の公平性を考えたとき、その文言を削っても文意は通じるので、挿入しないほうが無難に決まっている。しかし、それがあえて入っているということは、今上天皇がこだわりを持って入れた〝メッセージ〟と受け取ることができる。

 今上天皇は、即位15年の誕生日記者会見でも、満州事変に触れている。しかし、それは平成の15年間を昭和の15年間に比して、次のように述べただけである。

 昭和の15年間は誠に厳しい期間でした。日本はこの期間ほとんど断続的に中国と戦闘状態にありました。済南事件、張作霖爆殺事件、満州事変、上海事件、そして昭和12年から20年まで継続する戦争がありました。

 このお言葉は「さらに昭和14年にはソビエト連邦軍との間にノモンハン事件が起こり……」と続くのだが、どれも教科書的に言う史実を並べただけのもので、天皇自身の解釈というものは入っていない。しかるに、今年の新年の感想では、先の戦争がどこから始まるかという歴史認識において、満州事変から始まったという天皇の認識を示した。

 満州事変は、日本軍が〝自衛権〟を大義として満州を占領した出来事である。日本は、満州の自衛と居留民保護を旗印にして、大陸での戦争を続けた。vol.46で述べたように、アメリカは日本軍の行為をパリ不戦条約違反として警告したが、この条約は自衛戦争を禁止していない。昭和天皇の詔勅も、満州事変が「自衛の必要上」のものであることを追認していた。

 その評価をめぐっては、いまでも論争になるような話である。しかも、それは過去の話ばかりではなく、今日の日本において〝自衛権〟をめぐる憲法解釈が問題になっている。そういう論争の火種になるような文言を、今上天皇はあえて新年のお言葉に入れたことになる。

 天皇陛下のお言葉を、自衛権発動による戦争参加への危惧と見るならば、それは現政権への批判とも見られる。リベラリズムの危機に対する天皇の懸念を示したという見方が出てくる所以だが、このように天皇を政局に引き出すことのリスクについて考えている人はどれほどいるのだろう。歴史上において反体制の立場に立った天皇はもちろん存在するが、その後に時代がどう動いたかという視点を私たちは持っておく必要がある。そして、もし天皇が〝逆〟のことを言った場合に対する想像力も、私たちは持っておく必要がある。

 諸々の歴史的事例についてはあらためて述べるとして、さしあたり今上天皇が再三述べる〝護憲〟の考えについて見ると、天皇は別に憲法第9条をことさら取り上げて守ると言っているわけではない。憲法が日本の最高法規であるからという理由を口にされたことはあるが、その日本国憲法には、当然ながら改正条項も含まれる。そして憲法改正は、天皇の国事行為であるから、形式的にであれ、改正するとなれば天皇の国事として認証される。

 今上天皇は、憲法第96条によって憲法改正がなされたときの役割も当然知っているはずである。その際に、天皇は次のことをおこなうと憲法は記している。

天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

 天皇が憲法を遵守するという場合、それは当然改正条項も含んでいる。天皇は、改正前の憲法を遵守することによって、必然的に改正後の憲法も遵守する。天皇の憲法遵守発言は、それだけのことしか意味しない。憲法改正は、憲法自身が予定していることであり、天皇は改正後の新憲法を公布することになる。憲法を遵守するなら、そういう帰結になるだけだ。

 ただし、前述の満州事変にまつわる発言から憶測すれば、今上天皇は、現政権の憲法解釈には否定的な見解を持っているという気配はある。そして、おそらく憲法改正にも賛成してはいないだろうという気配もある。しかし、仮にそうだとしても、それは天皇陛下個人の考えであって、国政上の天皇の役割とは関係ない。が、実はこの点にはいくつかのグレーゾーンがあって、ちょっとおもしろい問題がひそんでいる。

 たとえば、今上天皇は、憲法上国事行為とされていること以外の公的行為において、実はそれが法的なグレーゾーンであることを知っている。そのことは記者会見などでの発言からわかる。今上天皇は、国民統合の象徴として、国民の代弁者であることを意識している。

 前回vol.59で述べた戦後憲法の真のタブーというのが、実はその部分なのである。