小説『神神化身』第十二話

「季布一諾(きふのいちだく) (I give you my word.) 」



 八谷戸遠流(やつやどとおる)がどうしてここまで人気になったのかについては、マネージャーの城山菜穂(しろやまなほ)すら正確には語れなかった。勿論、八谷戸遠流は並外れて美しい顔立ちをしているし、その容姿に頼りきることのない努力家でもある。歌も演技も上手いし、トーク力もある。ファンに対するサービスは手厚いのに、距離感は誤らない。人気があるのに驕りもしない。まるで芸能人になる為に生まれてきたような人間だ。人気が出るのも頷ける。
 それでもなお、城山は不思議でならなかった。実力があってもすぐに芽が出るとは限らないのがこの業界だ。実力があってもスポットの当たらない人間は山ほどいる。
 なのに、八谷戸遠流は何故、ものの一年でトップアイドルと呼ばれるに至ったのだろう?
 八谷戸遠流がオーディションに現れてから今に至るまで、城山は何だか狐に抓まれたような気分でいる。彼の栄華は揺るぎないものだ。なのに、そこにはどうしても現実味が欠けているのだった。



「お疲れ様です、城山さん。わざわざ迎えに来てくださってすみません」
 映画の撮影を終えて後部座席に乗り込んだ遠流が、いつも通りの笑顔で言う。自宅に送り届ける時はプライバシーに配慮して、タクシーを呼ぶのではなく城山自らが運転するようにしていた。未成年の遠流に対して、出来る限りの配慮である。
「気にしないでよ。お疲れ様。ようやくクランクアップだね」
「そうですね。貴重な経験が出来ました」
 長時間の撮影を終えたばかりだというのに、バックミラーに映る遠流は少しの疲れも見せない。プロ根性と呼べば聞こえもいいが、こういうところは多少の薄気味悪さを覚える。遠流はアイドル活動の傍らで高校にも通っている。大の大人でも悲鳴を上げそうなハードスケジュールなのに、彼が溜息を吐いているところすら見たことがないのだ。
「……多分だけど、あの映画ヒットすると思う」
「だといいんですけど。上手く出来ていたかは分からないですから」
「でも、どれだけヒットしてもそろそろ『期限』でしょ」
「ええ、そうですね。一ヶ月後には声明を出そうと思います」
「ねえ、考え直すつもりはないの? こう言うのもなんだけど、向こう一年の活動次第で八谷戸遠流がどんなキャリアを積むかが変わってくると思う。ここで芸能活動をセーブするのは……」
「決めたことじゃないですか」
 有無を言わせない口調で遠流が言う。撥(は)ね除けるような言葉なのに厭味(いやみ)に聞こえないのは、彼の言葉がいつでも完璧にコントロールされているからだ。自分の伝えたい意図に適った最適な言葉。それが彼をトップアイドルたらしめているのだろうし、マネージャーとして一番評価している部分でもある。

 ただ、それを味わえば味わうほど、八谷戸遠流の輪郭が掴めなくなっていく。

 オーディションに現れた時から、八谷戸遠流は異様だった。

 簡単な審査を終えた時点で、結果はほぼ決まっていたようなものだった。とにかく人目を惹くし、華がある。ある一部の人間にだけある素養を、八谷戸遠流は十全に備えていた。殆どの手続きを飛び越えて合格が決められるなんて普通は無い。その普通を塗り替えてしまうほどに、彼は逸材だった。
 その場で合格が言い渡されたというのに、遠流はさほど嬉しそうでもなかった。この結果を予期していたかのように「ありがとうございます」と言っただけだった。後の過剰とも言える野心を考えれば、この反応は淡泊過ぎるように感じた。おまけに、彼の口からはとんでもない言葉が出た。

「厚かましいのは承知ですが、お願いが一つと、注意点が一つあります」

 八谷戸遠流が提示してきたお願いというのは、一年後には地元に戻り、覡(げき)として活動することを認めてほしいということだった。つまり、それからはアイドルと覡との兼業になる。高校生を職業に含めれば、三足のわらじだ。
 今まさに所属しようとしている事務所に、そんな慇懃無礼(いんぎんぶれい)な言葉を投げる新人はいない。しかも、彼の言葉はお願いではなく、実質的な所属条件だった。
 普通なら一笑に付されて合格を取り消されるだろう。ただ、八谷戸遠流は普通ではなかった。この異常な条件を吞ませるに足るほど、逃してはならない逸材だった。熱に浮かされたように、事務所の人間がそれを受け入れる。
 注意点として実際に見せられたのは、腰骨の位置にある奇妙な形の痣(あざ)だった。
 あまりにはっきりとそこにあるので、最初は刺青なのではないかと思った。そんな場所に目立つ刺青があるのなら、確かにそれは注意点になるだろう。しかし八谷戸遠流はそれを否定し、痣を『化身』と呼んだ。化身は覡としての適性を表す指標のようなものであり、覡として舞奏社(まいかなずのやしろ)に所属する際に最も重要視されるものだと説明した。
「えーと、それの位置ってどうにかならないものなの?」
「どうにか、ですか」
「うん、ずらしたり……とか」
 説明を受けた城山は、思わずそう言ってしまった。腰の位置であれば普通は見えないが、これから先、水着などを着る機会があったらどうしよう、と思ったのだ。そうでなくても、ふとした拍子に見えてしまいそうな位置ではある。これから八谷戸遠流はどんどん売れていくだろうに、仕事が制限されるのは惜しい。
「って、痣? なんだもんね。誰かの意思でどうにかなるもんでもないか」
「強いて言うならこれはカミの意思ですが」
 八谷戸遠流は変わらないトーンで淡々と言う。
「化身というのはカミが目を付けた場所に発現するんです。その場所が特に気に入ったのか、あるいは特に気に入らなかったのか……。いずれにせよ、カミの予約票のようなものでしょうか」
「カミの予約票……?」
「嘘じゃないですよ。確かな筋の情報なので」
 その顔があまり真剣なので引いた。カミだの何だのの話をこんなに真面目な顔でする人間を、本当にアイドルとしてデビューさせていいものなのだろうか。
 しかし、再三申し上げた通り、八谷戸遠流は非凡だった。カミを本気で信じていようが、彼の輝きは損なわれないし、その後バラエティーで彼がカミの話をしたことは一度も無い。




 約束していた一年が過ぎようとしていた。

 遠流が入ったばかりの頃は、一年の間に芽が出るはずがないと言い切る人間も多くいた。一年後に地元に戻って兼業の道を選ぶのなら、そのまま解雇してしまってもいいんじゃないかと言っている人間もいた。しかし、八谷戸遠流は順調に人気を博し、ここ三ヶ月はれっきとした稼ぎ頭である。彼が地元に戻り、覡として活動することは痛手だった。アイドル活動と並行するとはいえ、仕事量はどうしても減るだろう。
 ただ、彼の覡としての活動に表立って反対する人間は一人もいなかった。
 八谷戸遠流はそうなるべきだと、何故か全員が納得していたのだ。
 城山が考え直さないのかと尋ねたのも、ただの確認でしかなかった。引き留められるなんて思っていない。雪の冷たさを触って確かめるようなものだ。雪は冷たかった。それだけだ。
 車を運転しながら、城山は言う。
「地元に帰ったら、少しは羽伸ばせるかな。地元の友達とかもいるでしょ?」
「地元の友達……ですか」
「そうそう。こっち来てから連絡取ってる?」
 遠流は静かに首を横に振る。
「全然ですね。そんな余裕が無くて」
「じゃあ、再会したらきっと嬉しいだろうね。サプライズだ」
 その時、全然変わらなかった遠流の表情が微かに変わった。
「……それはどうでしょう」
「え?」
「地元の友人はみんな良い友人ですよ。ただ、……僕はみんなに嘘を吐いているので。前みたいな関係に戻れるかどうか」
 そう言う八谷戸遠流の表情は年相応の、諦念(ていねん)混じりの寂しそうな微笑だった。
 城山には、八谷戸遠流のことが分からない。彼が何なのかも、どうして彼がここまで成功したのかも、何故アイドルとして大事な時期に覡として活動しようとしているのかも、何もかも知らない。
 けれど城山は、彼に向かって「大丈夫ですよ」と言う。根拠が無くとも、その言葉が必要であることくらいは分かる。

 もう一度伺った遠流の顔は、いつものような涼やかな笑顔だった。

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著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



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