小説『神神化身』第二十一話

「舞奏競 果ての月・修祓の儀(前編)

「もう一度聞く。お前の本願は何だ? 六原(むつはら)」
 皋所縁(さつきゆかり)にそう言われた瞬間に、六原三言(みこと)は初めて舞奏競(まいかなずくらべ)というものを理解した。

  *

 
 舞奏競が行われる前には修祓(しゅばつ)の儀と呼ばれる催しがある。舞奏競で競い合う二組の舞奏衆(まいかなずしゅう)が、舞台となる社に集まり、お祓いを受けてカミへの宣誓を行うのだ。これを以て正式に舞奏衆の参加が認められ、二衆は全霊を以て舞奏競に臨むこととなる。

 修祓の儀の場所に選ばれた社は浪磯(ろういそ)からも譜中(ふちゅう)からも、ある程度の距離を取った舞奏社(まいかなずやしろ)だった。古い歴史のある社に足を踏み入れる時、三言は柄にもなく緊張した。ここに櫛魂衆(くししゅう)として来ることの意味を考えると、この一歩は重い。

 けれど、今の三言には遠流(とおる)と比鷺(ひさぎ)が付いている。それがどれだけ幸福なことかを理解しているから、不用意に恐れてはいない。修祓の儀の段取りも頭に入っている。きっと、修祓の儀はつつがなく終わるだろう。

 むしろ難儀だったのは、準備を待っているまでの控えの時間だった。

「ファーストペンギンという言葉があります。可愛いペンギンの群れの中で、最初に海の中に飛び込み魚を捕るペンギンちゃんのことです。もしかしたら海の中には天敵のアザラシがいてぱくりと食べられちゃうかもしれないのに、勇気がありますよね。このファーストペンギンがいるから、海の中が安全かどうか分かるわけです。このペンギンちゃんが食べられなかったら安全ということですから。感動しますよね。尊敬しますよね。でも、あれって実際は周りから押されてうっかり落ちるドジなペンギンなんだそうですよ。申し遅れました、闇夜衆(くらやみしゅう)の昏見有貴(くらみありたか)と申します」

 ほとんど一息でそう言い切ると、昏見はにっこりと笑った。すごい肺活量だな、と三言はまず思った。線の細い美しい顔立ちや、それを引き立てるように長く伸ばされた髪は、淀みなく喋る様子と印象の面で繋がらない。
「……お前はいきなり何を言ってるんだ、アホ怪……昏見」
「えー、控えの間に来てから十五分、こうして全く盛り上がらない合コンのように向き合って黙って座ってるばかりだから退屈で」
 昏見の言う通り、控えの間にある長机で向き合ってから、結構な時間が経っている。完全な沈黙に耐えるには辛い時間だ。
 社人(やしろびと)が何の気を利かせたのか、あるいは利かせなかったのかは定かじゃないが、席は予め決まっていた。各衆のリーダーにあたる人物が右手前に座り、名簿で言えば殿(しんがり)を務める人間がその奥に座る配置だ。即ち、三言の目の前には、闇夜衆のリーダーである皋が座っている。
「この私が真ん中に座ったからには仕切らないとなって。私は勇気あるファーストペンギンですよ? 褒めてくださいよ、所縁くん」
 皋所縁が引き攣(つ)った顔で喉を鳴らす。──名前と評判だけは聞いていた、例の名探偵だ。意志の強い目と、どこか人目を惹くところがある。視界の端で焚かれたストロボのように、思わず振り返ってしまうような存在だ。三言がじっと見つめていると、皋は咳払いをして自己紹介をした。

「……どうも、俺が闇夜衆リーダーの皋所縁だ。よろしく、って言うのが正しいのかは分からないけどな。これから戦う相手なんだし」
「はい! 櫛魂衆リーダーの六原三言です。よろしくお願いします、皋さん」
 合わせてそう挨拶をすると、皋はやや困ったような笑顔で「うわ、元気だな……」と言った。
「よろしくお願いしますね、六原くん! 元気でとっても素敵です。それに比べて、今日の所縁くんはあんまり元気無いですね。普段私と一緒にいる時は太陽が霞むほど元気なんですが」
「どこの世界線の話だよ、捏造すんな馬鹿」
「なら、一応俺も名乗っておくか。知っての通り、俺は萬燈夜帳(まんどうよばり)だ。よろしくな、櫛魂衆」

 一番端、比鷺の向かいに座っている男が、読んでいた本を閉じて朗々と言った。上背のある、とにかく見栄えのいい男だった。発せられる言葉の一言一言が耳に残り、内容如何に関わらず『納得させられてしまう』ような魔力がある。
「ところで、俺には一人初めましてじゃない人間がいるんだが。なあ、八谷戸(やつやど)」

「……お久しぶりです、萬燈さん。まさかここであなたに会うことになるとは」
 遠流がすっと目を細める。その表情は、三言でもあまり見たことのないものだった。
「スタジオで会うのも外で会うのもそう変わらねえよ。むしろ会うのがここでよかった」
「そうかもしれませんね。では改めまして。櫛魂衆の八谷戸遠流です。よろしくお願い致します」
 遠流が涼やかな微笑を浮かべながら言うと、昏見が楽しそうに「きゃー、本当のアイドルですよ。興奮しますね」と笑った。
 遠流と萬燈が顔見知りだというのは以前にも聞いていたことだ。三言の目からすると、この二人は仲が良さそうに見える。それは正しいし、嬉しいことだ。競い合う間柄であろうと、仲良く出来るならそれに越したことはない。
 残っているのはあと一人。そう思うと、自然と残る一人に視線が向いた。それは周りも同じようで、長机の端に注目が集まる。
 視線の矢に貫かれた比鷺は出来る限り縮こまりながら、地を這うような声で言った。
「…………えー……、櫛魂衆の九条比鷺(くしょうひさぎ)です。…………この度はお日柄もよく……」

「どうしたんだ? 比鷺。実況で挨拶をする時はもっと元気じゃないか。それに、はいどーもっていうお決まりの挨拶も無いし。やり直した方がいいかもしれないぞ」
「三言、それ以上言ったらマジで自害しちゃうからやめて。ていうか何で俺が端っこなの!? せめて遠流の席がよかった! 俺こういうの駄目なんだって! 遠足とか給食とかで端っこの席になると、いっつも俺だけ会話に入れないんだもん! 真ん中らへんで盛り上がってる会話がよく聞こえなくて、みんなが笑うタイミングから一拍遅れて愛想笑いする位置じゃん! こんなのやだ!」
 そうか、席割りが嫌だったのか。だから比鷺は元気が無いに違いない。もし比鷺が真ん中だったら、もっと元気に挨拶が出来ていたんだろう。そう思うと、三言は申し訳なく思った。どうせならゲームをやっている時の生き生きとしている比鷺を見せたかったのに。
「ほう。俺の向かいが嫌だっていうのも珍しいな」
「ひっ、いや、萬燈さんの向かいが嫌とかじゃなくて、むしろ光栄っていうか、じ、実はこう見えて俺、萬燈先生の小説のファンだから会えて嬉しいな~って」
「嘘です。こいつは萬燈さんの著作なんか一冊も読んでいない上に、萬燈さんが恵まれた外見と社会的地位を持ち合わせた有名人だからってだけで若干憎しみを覚えているような拗らせクソ野郎です」
 愛想笑いを浮かべる比鷺の横で、遠流がぴしゃりとそう言い放つ。それを受けた比鷺の顔は、青ざめるを通り越して真っ白になっていた。
「ちょっ、はっ? ちょっ、な、は? 何で遠流が俺のこと撃つわけ? 何のフレンドリーファイア?」
「おっと、口が滑った。ごめんな比鷺。僕の口は雑な嘘の前ではよく滑るみたいで」
「ちょっ、マジ、お前マジで」
「気にすることはねえよ。お前はこれから萬燈夜帳の著作に出会うことが出来るんだからな。その幸運を噛みしめりゃいいだけだ。そうだろう? 九条比鷺」
「ひゃ、ひゃい……」
 色々なことが閾値(いきち)を超えたのか、比鷺は息も絶え絶えになりながらそう答えた。普段ならそろそろ寝込む頃合いだ。

「いやあ、九条くんは可愛いですね。くじょたんって呼んでいいですか?」
「……昏見お前、誰彼構わずそんなノリなのか」
「冗談ですよ、所縁くん。渾名(あだな)被っちゃいますもんね」

「そこの心配をしたこと一度も無えんだけど」
「僕はいいと思いますよ。素敵な渾名だと思います。お前もそう思うだろ? なあくじょたん? おいどうしたくじょたん?」
「た、助けて……助けて………………」
 俄(にわか)に騒がしくなった場を見ながら、三言は静かに感動していた。やはりファーストペンギンというのは偉大だ。昏見さんが先陣を切ってくれたお陰で、みんなが急速に仲良くなっている。今まで一人で舞奏に向き合っていた三言にとっては、同じ覡(げき)が集まっているだけでも感動する光景だ。おまけに交流まで深められるのだから言うことがない。

 だから、しばらく他愛の無い雑談を交わした後、三言は次の言葉をごく自然に口にした。

「こうして闇夜衆の皆さんと舞奏競が出来ることを嬉しく思っています。観囃子(みはやし)の皆さんの為に、そして何よりカミの為に」


 その言葉を聞いた瞬間、皋の目に灯る紫が一段階濃く変わった。




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この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



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