小説『神神化身』第二十二話

「舞奏競 果ての月・修祓の儀(中編)

 帰りたい。それが、修祓(しゅばつ)の儀を前にした皋所縁(さつきゆかり)の素直な気持ちだった。

 地元・譜中(ふちゅう)の舞奏社(まいかなずやしろ)とはまた違った雰囲気の社に足を踏み入れるのも、覡(げき)として修祓の儀を受けるのも、何とも言えない緊張感がある。本当に自分でいいのかという気持ちと、自分がやるしかないのだという気持ちの間で引き裂かれそうだ。

 けれど、もう後戻りは出来ない。闇夜衆(くらやみしゅう)、という自ら選んで背負った名前で呼ばれ、皋は揚々と歩み出た。

「こうして三人で遠くまで来るとワクワクしますね! 元探偵という名前の無職を謳歌している所縁くんはともかくとして、萬燈(まんどう)先生はご多忙ですし! 楽しいなー、これってまるで遠足みたいだと思いません? あ、そうだ。知ってますか所縁くん。遠足って遠いに足って書くんですよ。びっくりですよね」

「誰もが知ってる知識をトリビアみたいに言ってんじゃねーよ」
 畏まった場所においても、昏見(くらみ)はいつも通りだった。これから修祓の儀が行われるというのに、まるで動物園にでも来たかのような顔でにこにこと笑っている。それを見ていると、少しだけ緊張が解れるのが悔しい。

 萬燈は萬燈で、まるでここがホームグラウンドのように落ち着いている。それどころか社人(やしろびと)に対して細やかな気遣いを見せるくらいだ。敵わない。陰鬱な顔をしている皋を見かねたのか。萬燈はいつものように言った。

「どうした、皋。ここはお前の夢の一里塚だろ。なのに随分浮かねえ顔じゃねえか」
「完全に浮いてるからだよ。緊張しない昏見と萬燈さんがおかしいんだって」
「張り切って飛ぼうとするな、落ちなきゃいい」
「……崖際で必死だよ、こっちは」
 修祓の儀そのものもだが、控えの間には既に果ての月での対戦相手が──相模國(さがみのくに)の櫛魂衆(くししゅう)が控えているという。その顔合わせを考えるだに恐ろしい。

 闇夜衆は、各々目的があって舞奏競に挑む舞奏衆(まいかなずしゅう)である。この世から殺人を無くす願いを持った皋と、それに対して協力を申し出た昏見と、カミというものに相見えようとしている萬燈は、今のところ同じ方向を向いている。腹の内を全て明かしていないところはあるが。

 舞奏衆である以上、櫛魂衆にも何かしら叶えたい願いがあるのだろう。きっと、負けられない理由があるのだ。
 それを思うと、皋の胸の内に小さな翳(かげ)りが出る。それでも、皋は負けたくない。負けられない。

 
「萬燈先生~。やっぱり小説家になったら外に出ずにぬくぬくしながら仕事出来るんですか? 昼夜逆転しててもいい? 印税で遊んで暮らせる?」
「お前の言ってることは概(おおむ)ね不可能じゃねえわな。なんだ、九条比鷺(くじょうひさぎ)は俺の稼業に興味があるのか?」

「だって、将来的にも俺絶対お外に出たくないし……えー、じゃあ俺の本願それにしちゃおっかなー。売れっ子小説家になって夢の印税生活が実現しますように! そして一生ぬくぬく暮らしてー」
「比鷺はこのままでも一生ぬくぬく暮らせると思うけどな」
「うん、三言(みこと)の言葉に他意はないんだろうけど、なんかこう心にくる……」

「本気なら俺が見てやってもいいが。玉稿を見せるのに俺以上に相応しい男もいないだろう」
「え? あ? しょ、小説? 無理無理無理、それはマジで死んじゃう、遠回りな自傷。いやむしろストレートな死」

「八谷戸(やつやど)くんと萬燈先生が出演していた番組、私も観ました。八谷戸くんはスタニスワフ・レムがお好きなんですね? 私は『完全な真空』が好きです」

「そうなんですか。なんだか昏見さんらしいです。実は、僕にレムを薦めたのは萬燈さんなんですけど」
「流石は萬燈先生。機会が許せば読書会などもしてみたいですね」

 端から聞いていても楽しそうな会話が飛び交っている。
 ……場が温まってきている。昏見がペンギンの話で無理矢理開いた場に、なんだかんだで全員が順応し始めている。
 別にもっと緊張感があってほしかったとか、ギスギスしてほしかったとかそういうわけじゃない。ただ、そのスピード感に皋が付いていけないだけなのだ。あまりに所在が無さ過ぎて、手元のお茶を何度も飲んで間を持たせている。
 仕事の時のように割り切ってしまえば、会話を回すことも簡単だろう。だが、探偵ライクに話しているところを闇夜衆の二人に、特に昏見有貴(ありたか)に見られるのは嫌だ。視線を隣の昏見に向けると、さりげなく会話を振られるのも耐えがたい。皋が場に馴染めるよう気にされているのが分かってしまう。それはそれで物凄く癪(しゃく)に障るのだ。

 となると、皋のやるべきことは一つだった。相槌を打つのに徹し、観察することだ。
 一番端に座っている九条比鷺は、普通の男子高校生に見える。この雰囲気に萎縮していたかと思えば、一転して懐っこく喋っている辺り、根は屈託無く人好きのする性格なのだろう。九条家というのが舞奏の名門の家だと聞いているから、彼は半ば義務的にここにいるのだろうか。
 少し引っかかりを覚えるのが、現役アイドルの八谷戸遠流(とおる)だ。アイドルとして場数を踏んでいるからか、こんな場においても全く物怖じしていない。しかし、態度に含みがありすぎる。昏見と同じタイプだ。言葉と本心を完全に切り離せる人間だから、腹の底が読めない。

 そして最後──向かいに座っている六原(むつはら)三言が、一番底の知れない相手だった。舞奏が有名な相模國で一際強い存在感を放っている覡。彼の舞奏は他の地域にも広く知られている。

 それなのに、その目からは我欲がまるで見られない。あれだけ堂々とした舞奏を奉じるからには、もっと主張があって然るべきだと思っていたのに。友人と話しているのを見るに感情の揺れが無いわけではないのだろうが、それにしても本質が凪(な)ぎすぎている。探偵として色々な人間を見てきたが、こんな目をしている人間は初めて会った。

 心の中に絶対にブレない支柱があって、全てをそれで計っているのだろうか。一人の人間をここまで達観させるものとは一体何なのだろう?
「そういえば、皋さんがCMに出ていらしたゲーム……『絶対推理 サウザンド・ナイト・マーダー』、面白かったですよ。僕はあまりゲームをしない人間なんですが、それでも楽しめました」
 その時、八谷戸遠流が突然そう話しかけてきた。
「あ? え、どうも……というか、俺はCMに出ただけでゲームの制作には全然タッチしてないんだけど。や、あれ面白いゲームだと思う……うん。伏線もフェアだし探偵の描き方もかなりよかったし」
 探偵時代に断り切れず出演したCM の話題を出されて、一瞬戦(おのの)いてしまう。話題を振ってきた八谷戸は、そのままカメラの前に立っても通用するくらい、様になった微笑を浮かべていた。まさか、昏見と同じように皋に気を遣って話題を振ってきてくれたのだろうか。そう思うと、今日一番居たたまれない気持ちになる。

 あるいは、六原の方をじっと観察している皋のことを牽制しに入ったのだろうか。……疑い深い探偵だった自分なら、そちらの解釈を採用しただろう。流石に今は考えすぎだろうが。
「そうそう。あのCMの所縁くん格好良かったですね。自分の推し探偵がただひたすら最高なのって最高なんですよねー! 私が所縁くんに桃園(とうえん)の誓いを立て、生死を共にする決断をしたのも、あのCMがきっかけでした」

「立てられた覚えも無いし未来永劫立てさせる気も無えんだけど」
「それでも、とても様になっていましたよ。探偵さんっていうのはああいう場でも映えるんですね」
「とか言って皋さんに対してにこにこ顔で話してますけど、遠流はアクションパートが苦手過ぎて何度も舌打ちしてました。最終的にサウマダのアクションパートクリアしたの俺なので、あのゲームの深い魅力を完全に理解してるとは言えな……痛っ! 遠流が無言でぶった! 何で!?」
「まあ、俺もあのアクションパート苦手だったし、別にいいと思うぞ……」
「お気遣いありがとうございます。皋さん」
 俄に騒がしくなっている場を見ながら、皋は密かに安堵していた。このまま何事も無く、修祓の儀が終わってくれたらそれでいい。
 六原三言が、とある一言を発するまでは、そう思っていた。

「こうして闇夜衆の皆さんと舞奏競(まいかなずくらべ)が出来ることを嬉しく思っています。観囃子(みはやし)の皆さんの為に、そして何よりカミの為に」

 その言葉を聞いた瞬間、自分の中で燻っていた違和感に、輪郭が与えられたような気がした。




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著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



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