小説『神神化身』第四十五話

指定席に微かな影だけを残して」


 浪磯(ろういそ)駅前のベンチは僕達の為にあるんじゃないかってたまに思う。僕と三言(みこと)と遠流(とおる)と比鷺(ひさぎ)が並ぶと、丁度四席が埋まるからだ。昼間の人通りの多い時に四席が空いていることは滅多にないけど、だからこそ空いている時はラッキーな気分になった。
 特に、こうして四人でどこかに遊びに行った夕暮れに空いていたりなんかすると、運命なんてものを感じなくもない。
「あ、ベンチ空いてる」
 僕が指を差すと、三言と比鷺が同じタイミングでベンチの方を見る。遠流は見ていない。何しろ、遠流は僕の肩を借りてすやすやと眠っているからだ。一応自立歩行出来ているから、そこまで重くはない。夢遊病者を無理矢理引きずっているような感じだろうか。
 ここまで動けるならいっそ起きろよ、と思ったりもするけども、遠流の睡眠への貪欲さを知っているからこそ何も言えない。まあ、多少寄りかかられるくらいなら我慢してもいいかな、と思ってしまう。そのくらい、遠流の健やかな寝顔には中毒性があるのだ。
「ほんとだ。こうして空いてるの珍しいね。なんかいいことありそう。ガチャ引こっかな」
 いち早くそう反応してくれたのは比鷺だ。比鷺はゲームばっかやってるし、学校にも来ない超マイペースな奴だけど、場の空気は読んでくれるし、僕の言葉にもちゃんと応えてくれる。ぽつりと零した呟きまで拾ってくれるのは、比鷺の優しさなんだと思う。
「まー珍しいっちゃ珍しいけどさ、そんな目輝かせるようなもんか? こんなもんでガチャ引くなって。どうせドブるぞ」
「何で三言はそういうことばっか言うの! 俺のガチャに対してもっと優しくしてよ!」
 揶揄うように言った三言に対し、比鷺がぎゃんぎゃんと文句を言う。実際、こういうことを言っている時の比鷺のガチャは引く度に悲惨な結果に終わっているから、止めてもらった方がむしろありがたいのかもしれない。ともあれ、僕は颯爽と提案する。
「ねえ三言、みんなで写真撮らない?」
「写真?」
「だってこのベンチが丸々空いてるのって珍しくない? 四人でならんで撮ろうよ」
「えー、でも誰がシャッター切るの? 三人の写真になっちゃうよ?」
「何言ってんの比鷺。そんなの道行く親切な人に頼めばいいでしょ? 浪磯の人は僕らみたいな仲良しには甘いはず!」
「まあ、俺は別にいいけど」
 三言の了承さえ得てしまえば、あとはもう勝ったようなものだ。比鷺はこういう時に仲間外れにされるのを絶対に嫌がるタイプだ。案の定、既に席に着いた三言の隣に、慌てて比鷺が陣取っている。あとは、と、仕上げをするような気持ちで、肩に凭れている遠流を揺さぶった。
「遠流起きて! 遠流!」
「……うん……もう家? なんか早いね」
「家じゃない! 浪磯駅前! やりたいことあるから起きてよ!」
 寝ぼけ眼で頷く遠流を引きずり、右端の席に座らせる。ここまで来たら、あとはシャッターを切ってくれる人を探すだけだ。
「隣は僕の席だから死守してよね! 遠流! 頼んだよ! 誰かが座らないようにして!」
「……うん」
 僕の指示を受けて、遠流がベンチの二席分に器用に丸くなった。限られたスペースで一番寝心地の良い体勢になれるのは遠流の特技だろう。本物の猫みたいだ。
「ベンチ占領していいのかなー? いっつも真面目なくせに」
 三言がニヤニヤしながら笑うけど、全部無視だ。
 駅前を歩いている人の中から、出来るだけ頼み事を断らなさそうな人を探す。すると、よく僕が糖分を補給するべくお菓子を買いに行く田島(たじま)商店のおばあちゃんが通りかかった。スマートフォンを片手に「すいません!」と大声を出す。
「お、なんだなんだ。豆大福じゃないか」
「僕の名前、豆大福じゃないですけど」
 丁重に抗議すると、田島のおばあちゃんは更に面白そうに笑った。
「だってお前、私んところに来るといっつも豆大福買うだろ。豆大福じゃないか」
 確かに豆大福はよく買ってるけれど、そう呼ばれるのは釈然としない。なんだか揶揄われているような感じがする。それに、田島のおばあちゃんのところで買っているのは豆大福だけじゃない。他にも色々日によって変えている。ミルクレープとか、エクレアとか、みたらし団子とか。
 あ、じゃあフィナンシェってどうかな。それなら渾名にされてもいいかもしれない。お洒落だからね。
「というか、そういう話をしたいわけじゃないんです。写真撮ってほしくて……ほら、あそこのベンチにみんないるんですけど。画面のここを押したら撮れますから」
「ベンチに座ってる写真なんか撮ってどうすんのさ」
「いいの! わかんないかもしんないけど、あのベンチはベストフォトスポットなんだよ!」
 ふうん、とよく分からなそうな声を上げながらも、おばあちゃんはスマホを受け取ってくれた。
「じゃあ、三言と遠流と九条のお坊ちゃんとお前の写真を撮ればいいんだね?」
「うん。お願いします。あんまりブレさせないでね!」
「こう見えても私はハリウッドで映画的なものを撮っていたことがあるんだよ」
 いまいちはっきりしない雑な嘘を吐きながら、田島のおばあちゃんが笑う。さて、後は戻るだけだ。
「田島のおばあちゃんに頼んできた! ほらあそこ! ねえ遠流、席取りはもういいからちょっと起きて。あっちのカメラ見て。ね?」
 遠流を縦に伸ばして、僕の席を確保する。田島のおばあちゃんは意外と構図にうるさい人で、あれこれ指示を飛ばして全体を調整していった。撮るよ、の声に合わせてピースをする。浪磯の日差しが眩しくて、少しだけ目が細くなってしまった。

 田島のおばあちゃんがハリウッドにいたかはさておくとして、写真の出来は本当に良かった。比鷺と三言と僕と遠流が四席のベンチにすっかり収まっている。比鷺はらしくない澄まし顔で、僕は日差しに目を細める決まらない顔で、遠流は半分僕に寄りかかって。
 そして、三言はいつものような弾ける笑顔で、画面に収まっている。いい写真だ、と感動した。
「印刷してみんなにあげるから、感謝してよね!」
 スマホを持ったままじっと画面を見つめている三言に、そう声を掛ける。要らないと言われることも覚悟していたのに、三言は思いの外真面目な顔で頷いた。
「みんなで撮るこういう写真、一枚はあった方がいいと思ってさ。なかなか良い提案だったな」
 三言の目は何やらわいわいしている遠流と比鷺に向けられていた。何だかんだでガチャを引くことにしたのかもしれない。極限まで眠たい時の遠流は逆に神引きすることがあるので、それを狙っているのかもしれない。
「一枚はあった方がいいって? そんな大げさな。いくらでも撮ればいいでしょ」
 と言いながら、僕が思い出しているのは三言の家族のことだった。集合写真はいつでも撮れるというわけじゃない。後から思い返してみて、もっと撮っておけばよかったと思うこともあるのだろう。
「なーに神妙な顔してんだよ」
 僕の顔つきが険しくなっていることに気がついたのか、三言が茶化すように額を小突いてくる。軽口めいた言葉だけれど、それが僕のことを気遣って発せられたものだとわかるから、なんだか居たたまれなくなってしまった。
「また妙なこと考えてんだろ」
「別に。考えてないんだけど」
「でもまあ、思い出なんていくらでもあった方がいいだろ?」
 三言がそういうことを言う時の声は、何だか酷く優しい。三言の心の奥底が優しいことはとっくに知ってるんだけど、もっとこう、本質の部分にある優しさが、ここにはあるような気がする。
「あのさ、僕はずっと浪磯にいるから」
 だからだろうか、そんな声が出た。
「……三言は僕の北極星だよ。北極星、一緒に見たでしょ。あの星を辿れば僕がいるし、僕を辿れば北極星がある。僕らはずっと一緒に在るんだよ」
 自分達を星になぞらえるなんて、ロマンチック過ぎるかもしれない。呟いた後は僕自身も恥ずかしくなってしまったくらいだ。でも、やはり僕らを──三言を表す言葉は、これしかないんじゃないかと思った。浪磯の浜辺から見る星が好きだった。それを見上げれば、いつでも三言のことを思い出せるから。
「なーに感傷的なこと言ってるんだよ。そんなの当たり前だろ」
 三言が優しい笑顔でそう言ってくれる。
 四人での集合写真なんて、これからいくらでも撮れるはずだ。なのに、僕はきっと今日撮った写真を宝物にしてしまうだろう。

 

 *


 

 この言葉は多分届かないんだと思う。


 

 というか、届けるつもりも今となってはない。嬉しかったことも悲しかったことも、全部僕が引き受けていくつもりだ。だから、これはただの気持ちの整理のようなものなんだ。三言のちょっとした言葉から作ったあのSNSアカウントと同じ。


 

 あの時撮った写真のことは、今でも宝物だと思っている。嘘じゃない。ただ、今となってはその意味合いも大分変わってしまった。変わってしまったのは写真だけじゃないけど。


 あそこにいた僕達は、もうどこにもいない。一番変わっちゃった僕が言うことじゃないかもしれないな。


 でも、それを悲しむのももうやめた。ようやく、自分が何をするべきか分かったんだ。何かを願うのももう無しだ。叶う願いが願いなものか。僕は、自分の力で望む未来を手に入れる。その為に必要のないものは全部要らない。それは六原(むつはら)三言も、八谷戸(やつやど)遠流も、九条(くじょう)比鷺も例外じゃない。


 それなのに、あの日例えた北極星だけは今でも頭上に輝いていて、お誂え向きに例えた僕はその傍に在って、容赦なく僕に光を注ぐ。


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著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



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