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小説『神神化身』第四十四話
「机上の桃源郷・後日談」「武蔵國(むさしのくに)の闇夜衆(くらやみしゅう)ですか……どうしてまた?」
「どうしてまた? と来たか。まあそうだろうな。ちょっとした奇縁ってことで説明がつくといいんだが」
「そうはなりません。出来れば、天才ではない私にも分かりやすく説明して頂けると」
フリーの編集者の枠組みを超え、半ば萬燈夜帳(まんどうよばり)の専属マネージャーと化している高鐘羽衣花(たかがねういか)が、きっぱりと言った。この間までは多少弱気になっていたが、やはり萬燈にはきっちりと説明を求めた方がいい。
彼がやることは人智を超えており、自分にはその真意の全てを窺い知ることが出来ないとしても──それをサポートする役割は依然として必要なのだ。
だから、萬燈夜帳がいつもの調子で「闇夜衆の覡(げき)として武蔵國の舞奏社(まいかなずのやしろ)に所属することになった。これから舞奏披(まいかなずひらき)だの舞奏競(まいかなずくらべ)だのが控えているだろうが、よろしくな」と言ってきたとしても、思考停止をしてはいけない。なるべく事情を把握しなければならない。
「説明つってもな。これで説明にならねえか?」
そう言って、萬燈は着ていた和服の袖を捲り上げると、二の腕に浮き出ている痣のようなものを見せた。
悠々と育った雄々しい角にも、禍々(まがまが)しくも天に伸ばされた手にも、散る火花にも見える痣だ。痣にしては文様がはっきりし過ぎているので、タトゥーか何かなのかもしれない、と高鐘は思う。
「……それは何ですか? 自分でお入れになったんですか?」
「自分で入れたわけじゃねえよ。こいつはカミから賜ったもんだ。舞奏社はこの化身っつうもんが出てる覡を求めてる」
「舞奏(まいかなず)については存じ上げていますし、舞奏社のことも知っていますが……化身というものが、本当にあるなんて」
「信じられねえかもしれねえが、才の印としての痣は存在するようだな」
萬燈が意味ありげに笑う。信じて貰えなくても構わないと思っているようだったが、この時点で高鐘は目の前の痣が才の証であることをすっかり信じていた。
何しろ、目の前にある痣は美しくはっきりとそこにあり、まるで萬燈の為に誂えられたと言わんばかりに似合っている。彼の性質を奥深くまで理解したものが授けたのでないと、納得がいかないような模様だ。
それに、かの痣を宿しているのは他ならぬ萬燈夜帳なのだ。
彼の腕にあるものなのだから、それが才能の証でないはずがない。
「わかりました。つまり……萬燈先生に化身が発現し、それを見た萬燈先生は舞奏衆への所属を決めた……ということですね?」
「順番は違えが、まあそういうことだな」
順番が違うというのはどういうことなのか気になったが、その部分は話の進行に関わりが無さそうなので、差し当たっては置いておく。萬燈夜帳が決めたことに対し、高鐘は一切の口を挟まないことに決めているからだ。ならば、彼女が言うべきことは一つだ。
「説明をありがとうございます。それでは、萬燈先生の覡としての活動に支障が出ないようにスケジュールを組ませて頂きます。何か急な予定が入る時は何なりと。どうにかします」
「その理解に感謝する」
萬燈が嬉しそうに言う。その承認を得る為に、どれだけの人間がこの異形の才の前に額ずくのだろう、と思う。高鐘もその一人だし、音楽関係のマネジメントで入ることになった柳ヶ瀬(やながせ)という男もそうだった。この世にいる誰しもが、萬燈夜帳の人生の一助になりたくて仕方がないのだ。
「……それにしても、何だか不思議な流れですね」
「そうか? 思い当たる節がありそうだな」
「一番思い当たるところは、例の取材です。……燎原館(りょうげんかん)に行かれた時の」
乗り気じゃなかったはずの萬燈が、急に集団失踪事件の取材に興味を示し、実際に舞台である燎原館まで足を運んだことを思い出す。あれは確か──八谷戸遠流(やつやどとおる)と一緒に舞奏の番組に出た直後ではなかっただろうか。あれを契機に、萬燈は燎原館に行くと言い出したのだ。
そして取材から帰った後、デビューアルバムである『Vilnius』が生まれた。音楽界に激震を起こした、あれらの曲が作られた。その時から、萬燈夜帳を取り巻く環境は大きく変わったのだ。
「萬燈先生が燎原館で何かしらのインスピレーションを得て、それが『Vilnius』を生み出し、ついでのように化身まで手に入れたというのが流れとしてあるのではないかと」
「ついでのように、な」
高鐘の雑な言い回しにも、萬燈はサービスのように笑ってくれる。そのことに強い感謝を覚えた。
「そうでなければ、不思議じゃありませんか。舞奏競……でしたでしょうか? は、舞と歌の競い合いなのでしょう? なら、萬燈先生が作曲に着手したのもその影響が色濃いのではないかと」
「お前は聡(さと)く、そして鋭いな」
「私は不思議な流れだと言っているだけですが」
「物事の本質を的確に捉えた結果、曖昧な言葉になることもあるだろう。お前は正しい」
よく分からない流れで褒められたので、一応頭を下げておく。嬉しくないわけではないので、このことを高鐘は長く反芻(はんすう)することになるだろう。
だがその一方で、自分が萬燈夜帳の真実を知ることは一生無いのだ、とも確信している。燎原館で彼が何を見て、何をして来たのかは一生教えられないはずだ。きっと彼は、自分と同じ地平を見られるものにしか、そのことを話さないだろう。自分と萬燈夜帳では見ている世界も、使っている言葉すらもきっと違う。寂しいとは思わなかった。当然のことだ。彼が目を掛けるに足る他人など、この世には殆ど存在しないのだから。
その証拠に、萬燈はまるで自問するように言う。
「俺も今は大いなる流れの中にいる。……この先に、俺の望む言葉がある」
「……萬燈先生が何を求めてらっしゃるかを、私が正確に理解することは出来ないでしょう。ですが、出来る限りのことはさせて頂きますので」
「ああ。お前はそうしてくれるだろうな」
「ですから、あの『散夏(さんげ)』流出事件のような時も出来れば事前に仰ってください。肝が冷えました。まさか全国生放送のニュースの場で、あんなことを仰るとは思いませんでした」
連載中の『散夏』の原稿が流出したことを受けて、萬燈は遺憾のコメントの代わりに、長い声明を発した。要約してしまえば『原稿が流出してしまった為、新しく書き直したものを出す』というものだ。他の作家ならまずありえない、萬燈夜帳にしか出来ない対処法だ。そのことについては高鐘すら聞かされておらず、萬燈の言葉を聞きながら、思わず絶句してしまったほどだった。
萬燈の声明は瞬く間に各種動画サイトに転載され、今でも簡単に聞くことが出来る。誰もがそれを埋もれさせるに忍びないと、半ば義務感を覚えながら残していったおかげだ、その声明があまりに堂々としているものだったので、高鐘はその声明をそのまま文字に起こしてサイトに掲載した。普通の人間なら、声明文を書いて読み上げるだろうに。これでは順番が逆である。
だが、その時も萬燈は「面白え趣向だろ?」と言って笑うだけだった。敵わない。高鐘ですら、サイトに転載されたその動画を、こっそりと観てしまう夜がある。
「事前に言えるもんは言うさ。お、そうだ。……俺の闇夜衆は面白えことになるぞ」
「そういう情報を事前に仰ってほしいわけではありません」
それに、萬燈夜帳が関わる舞奏衆が面白くならないはずがないだろう。彼は今までで一番楽しそうに目を輝かせている。……きっと、萬燈夜帳の存在は、舞奏の世界にも大きな影響を与えるだろう。
「舞奏衆を組まれる方々はどんな人物なんですか?」
「そうだな……一人は豊かな言葉を持った生きづらそうなやつ、もう一人は腹の底が見えねえが芯の通ったやつだ。どちらも一線級のエンターテイナーであることは間違いねえな」
「そうなんですか。舞奏衆の覡というものがどんな資質を求められるものなのかわからないですが、気が合いそうなら何よりです」
その時、萬燈が思い出したように口を開いた。
「ところでお前、怪盗ウェスペルのことが気に入ったか?」
「……どういうことですか?」
「俺の講演会にあいつが来てから、お前はウェスペルの単語に微かに反応するようになったからな。実際にあの場に居合わせたってことで、肩入れするようになったのか?」
「萬燈先生。あまりそういうことを指摘されるのはどうかと」
確かにその通りだった。あれ以来、高鐘は怪盗ウェスペルの記事について丹念に調べるようになり、何ならウェスペルについて書かれた考察本の類まで読んでしまった。しかし、高鐘がウェスペルに熱を上げて以降、音沙汰はぱったりと無くなってしまった。一体どうしてしまったんだろうか。怪盗の登場を待ちわびるのはどうかと思うものの、寂しさを覚える。
「あとは、俺と共演してから八谷戸遠流にも興味を持ってるらしいな。大方、あの物怖じしねえところや、俺と出演しても事故が起きねえところを気に入ったんだろう。お前の趣味はいいと思うぜ? あいつはそんじょそこらのアイドルじゃねえからな」
高鐘は深く溜息を吐いた。そちらもか。なんでバレたのかは分からないが、どうせ視線だの顔色だの、そういうところだろう。萬燈夜帳にその方面での隠しごとをしても無駄である。ややあって、高鐘は言った。
「はい。そうですね。私は八谷戸遠流くんのファンです。彼の事務所のチャンネルに登録もしていますし、最近は、とある雑誌のインタビュー動画をよく見ています。癒やされますね」
「表情一つ変えずに一息で言うとはな」
「肺活量については、少しばかり自信がありますので。萬燈先生もご覧になります? 私の一推しの動画。やとさまが『恋ない。』に出演した時のインタビューなんですが、途中で彼が笑うのがとても可愛らしいので」
萬燈はそれには答えずに、またも含みのある笑顔を見せた。思えば、今日の萬燈はよく笑う。ややあって、萬燈は言った。
「きっとお前も楽しめるだろうよ、これからの世界をな」
その言葉は予言者染みていて恐ろしいのに、彼が言うからこそ、安心して聞けてしまうのだ。
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(テキストと同様の内容を画像化したものです)
著:斜線堂有紀
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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©神神化身/ⅡⅤ