1.『続・平謝り』 〜格闘技界を狂わせた大晦日10年史〜
この10年間、格闘技は未曾有の盛り上がりを見せたが、結果的にそれを盛り上げたK-1もPRIDEも崩壊してしまった。そこには様々な原因があるが、良くも悪くも一番の原因は大晦日イベントにあった。テレビ局も含めて当事者の谷川貞治(元K-1イベントプロデューサー)が『平謝り』にも書いていない内幕を綴って、検証する。
●第24回 2008年(後編) 遅すぎた「桜庭和志vs田村潔司」の実現と筋肉万太郎の登場
2007年の大晦日『やれんのか!』の大成功から生まれたDREAM。FEGとTBSはこの年から、総合格闘技の運営を旧PRIDE勢に全面的に任せることにしました。ところがPRIDEの崩壊から『やれんのか!』の流れで、てっきりDREAMも勢いに乗るかと思いきや、PRIDEとHERO'Sの文化の違いからか、どこかチグハグなものになって行ってしまったのです。
大晦日のメインは、ご存知のように総合格闘技。というのも、FEGとしてはTBSで大晦日を放送している以上、K-1のヘビー級の試合をするわけにはいかず、かといってK-1 MAXで大晦日に高視聴率を取るのは難しいので、総合格闘技で勝負する以外手はなかったからです。TBSもそのことはよく理解しており、HERO'SもDREAMもゴールデンで放送してくれたのは、大晦日があったからです。もし、大晦日に格闘技をやらなかったら、TBSはMAXしか放送しなかったし、フジテレビも大晦日がなければPRIDEに力を注ぐことはなかったでしょう。それが真相です。
しかし、そのPRIDEがなくなって、TBSでFEGと合体した。ならば、相当強力なコンテンツができ、僕自身も大晦日の役割を終えてもいいかなとすら考えていました。実際、2008年の大晦日は笹原君らリアルエンターテインメント勢に任せ、僕はほとんど調整役に回ることにしました。これにはもう一つの理由があって、2001年の『イノキ・ボンバイエ』以来、TBSはずっと大晦日に格闘技を放送していましたが、最初から聖地をさいたまスーパーアリーナに決めていました。ところが、この会場を抑えていたのは、PRIDEの制作を請け負うネイションという会社。そのため、2003年のK-1とPRIDEの大喧嘩で、PRIDEがさいたまスーパーアリーナを使用し、以後K-1はナゴヤドーム、大阪ドームと、首都圏での開催ができなくなってしまったのです。
そのため、2008年の大晦日はFEGとTBSにとっては、6年ぶりのさいたまスーパーアリーナでの開催となりました。このように、さいたまで大晦日ができるのも、リアルエンターテインメントに大晦日の仕切りを任せるからでした。でも、大阪でイベントを開くと関東圏の視聴率は、1〜2%落ちると言われているので、TBSにとっても良しでした。僕も大晦日が自分の手から離れるのは寂しい気がしましたが、この頃から僕にはもっとやらなければならないことがあったので、仕方ないかなと。それはFEGの立て直しだったのです。
2008年の8月に石井館長が約1年2ヵ月ぶりにシャバに戻ってきました。僕は毎月面会に行っていましたが、久しぶりの社会復帰となった石井館長の様子を見ながら、K-1の営業権をどこかに売る話をしなければなりませんでした。もはや、その当時からとても自力での復活は難しかったのです。石井館長はずっと僕らに全面的にイベントのことは任せてくれていましたが、自分がいない間にHERO'Sがなくなり、またPRIDEのメンバーと一緒にやって行くことになったのは、あまりいい感情を持っていませんでした。しかし、そんなことより立て直しです。この年の12月、僕はまずお世話になっているフィールズの山本英俊会長に、K-1をやってもらうことをお願いしに行きました。山本会長は一発でOKしてくれました。そこからデューデリジェンスが始まったりしたのです。
そんな感じで、僕は羨ましがりながらも、一歩大晦日からは引いていました。 「僕に何かできることはある?」「メインは何にするの?」、そんな感じで会議に参加していたのですが、実際DREAMでうまくドラマが作れたわけでもなく、本当に目玉さえありませんでした。
「せっかくK-1とPRIDE勢が合体したんだから、PRIDEの最後の興行で約束した桜庭vs田村が実現できればなぁ……」、そんな感じで話が出たのですが、問題は田村潔司でした。サクの田村嫌いは有名で「素手で殴ってやりたい!」とまで、周囲の人に漏らしており、田村戦はやる気満々。
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