1.『続・平謝り』 〜格闘技界を狂わせた大晦日10年史〜
この10年間、格闘技は未曾有の盛り上がりを見せたが、結果的にそれを盛り上げたK-1もPRIDEも崩壊してしまった。そこには様々な原因があるが、良くも悪くも一番の原因は大晦日イベントにあった。テレビ局も含めて当事者の谷川貞治(元K-1イベントプロデューサー)が『平謝り』にも書いていない内幕を綴って、検証する。
●第28回 2009年-④ 戦極との攻防。7対7全面対抗戦の裏側
石井サイドの思惑は、FEG抜きでTBSと交渉することでした。大晦日、格闘技を長い時間放送するのなら、そこで石井vs吉田戦、すなわち戦極の試合を放送してくれてもいいんじゃないか、そうTBSに迫ったようです。石井君をマネージメントするKダッシュは大手芸能プロとしても力があるので、なんとか押し切れるのではないかと考えたのです。
しかし、さすがにTBSはFEGを立ててくれて、僕の方に「戦極とうまくやれないか」と言ってきました。僕は石井君が芸能プロと契約した時点で気持ちが冷めていましたが、TBSがそういう以上、真摯に向き合うことにしました。そして、戦極のオーナーのYさんも「戦極がテレ東にお金を払って放送枠を買ってまで放送するのは得策ではない」と考えてくれ、僕に「一緒にやろう!」と声をかけてくれたのです。やっと光が見えたかと思いましたが、絶対的権力者のドン・キホーテ安田会長がなかなかクビを縦に振らない。もちろん、安田会長も本音としては「面白い」と思ってくれたでしょうが、できるだけいい条件で組もうとしてきたのです。
ここからの闘いは本当にしんどいものがありました。「時間がない。やっぱりやめよう!」と、何度言われたことか。僕の方から「NO」は絶対に言いませんでした。というのも、テレ東との交渉が時間切れとなり、他の番組に決めたら、さすがに安田会長も諦めるだろうと考えたからです。しかし、それでも安田会長は色々な要求、解決しなければならない問題を主張してきました。夜中に安田会長の自宅の前で待って、無理矢理上がらせてもらい、深夜まで話し合ったり、安田会長の会食の席までお邪魔して交渉しました。長渕剛のコンサートが終わるのを待って、楽屋に押しかけたこともあります。
「キミもしつこいねぇ。もう諦めたらどうだ」
そんなお褒めの言葉もいただいたほどです。途中、TBSや電通の人も巻き込んで話もしました。いつの間にか、僕の方がやりたがっているように思われるようになりましたが、そうではありません。何度も言いますが、「魔裟斗、引退」でチケットは完売状態。今更、戦極と対抗戦を決めても、チケットやスポンサーの枠がないので、かえって混乱するだけです。
また、DREAMチームもすでに大晦日の構想を固めており、今更カードをバラしたくないという雰囲気でした。DREAMと戦極はコンペティターになるので、簡単に同じリングに立ちたくないという思いもあったでしょう。選手なんか特にそういう思いが強かったはずです。外を見ても、内を見ても、けして喜ばれていない状況。戦極とドッキングすれば、文字通り日本の総合格闘技は統一されるのですが、先は全く見えていない中で、僕は孤独に突っ走っていたのです。それは「一緒にやろう!」と手を結んだK-1と旧PRIDE勢とのドッキングとはわけが違いました。
それでも、諦めませんでした。そして、安田会長も根負けし、何とか手を結ぶことになったのです。
僕は基本的に対抗戦のマッチメイクは、DREAMチームに任せ、そのプランで僕が戦極側を口説くことにしました。そこでも、やはり揉めました。
「体重を合わせろ」
「そんな相手じゃやりたくない」
「その選手は高いから使いたくない」
「過去の確執があるから嫌だ」
そんな感じで、なかなかまとまりません。
『Dynamite!』と『やれんのか!』の合体は、あうんの呼吸でマッチメイクが決まりましたが、今回は細かい点でも意地の張り合いが続きました。その一方で、戦極の大会をキャンセルするためのお金やら、チケットの件、スポンサーの件で揉めに揉め、連日クタクタにさせられたのです。しかも、今回の件で、戦極を切り盛りしていたJ-ロックの国保さんが辞めてしまったため、ドンキの社員と話したり、相手の窓口も色々な人が出てきて、収集がつきません。
その険悪な空気は、記者会見でも爆発しました。不満を抑えきれなかったのは、青木真也君です。
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