その20 グレイシー柔術はなぜ勝てなくなったのか?(前半)
1993年に旗揚げした「UFC」。旗揚げした当時は省略した名称は使われていなかった。“The Ultimate Fighting Championship”という呼び方で世間に衝撃を与えた。
呼び方が変われば、内容も変るのだろうか? 当時のThe Ultimate Fighting Championshipと現在行われているUFCとは全く別の競技と言っても差支えない。今のUFCは総合格闘技というルールに沿って行われている。体重制限もあるし、ルールによって禁止事項もたくさんある。試合時間も決められているし。一方、1993年当時のThe Ultimate Fighting Championshipは体重制限はなし、試合時間も無制限でどちらかの選手が負けを認めるまで試合は行われるというルールだった。
さらには、試合を裁くレフェリーによるストップもなし。つまり試合で選手が失神したとしてもレフェリーに試合を止める権限はない。選手が自分の意思でタップアウトして負けを認める。それ以外はセコンドのタオル投入のみが試合を止められる権利を持っていただけだった。
選手が試合中に失神してもレフェリーには試合を止める権限はないから、相手の攻撃は続く。あわててセコンドがタオルをオクタゴンに投げ込み、ようやくレフェリーが確認して試合をストップする。レフェリーが自分の意思で試合をストップするのとはタイムロスが生じる。
当時、オクタゴンの中では実際に凄惨なシーンが続出した。攻撃の禁止事項は目突きと噛み付きのみ。それ以外は本当に何をやっても構わない。頭突きも金的攻撃も認められていた試合。当時はそれを“何でもありの闘い”と呼んでいた。
相手を抑えつけて上から肘を打ち下ろす。それで相手が失神しても攻撃は止まらない。そんな試合が現実に行われていた。しかもその試合はグローブの着用はなくて素手で行われていた。
現在行われている総合格闘技とは全く違った試合。それが当時のThe Ultimate Fighting Championshipだった。そのあまりにも危険な試合で、たった一人無傷で勝ち続けていたのがホイス・グレイシー。ホイスの活躍によって、それまで無名だったグレイシー柔術は、一気にその名を知られることとなった。
1993年以前は誰も知らなかったグレイシー柔術が一気にその名を知られ、今では世界中で学ばれている。The Ultimate Fighting ChampionshipがUFCと名前を変えて一気にメジャー化したのと同じように、グレイシー柔術はブラジリアン柔術と名前を変えて世界中に広まった。
当時のグレイシー柔術は正に世界最強の格闘技であり、神秘の格闘技だった。あれから20年が過ぎて、グレイシー柔術は総合格闘技の始まりにあった格闘技といったイメージになったような気がする。グレイシーという名前は今でも尊敬の念を持って格闘技の世界で受け入れられている。しかし、試合をすればわりと簡単に勝てるという、名前のわりにおいしい相手になってしまった気がする。
グレイシー柔術は世界中に広まる際に、ブラジリアン柔術と名を変えた。近代の格闘技の中であれだけ急速に世界中へ広まった格闘技は珍しい。20年前には神秘の格闘技だったグレイシー柔術は、今ではブラジリアン柔術と名を変えて世界中で学ぶことができる。その代わりに当時の神秘的な強さを失った。
ブラジリアン柔術の王者=総合格闘技で強い。この図式は完全に喪失した。ブラジリアン柔術の世界王者はUFCでは通用しない。通用しないどころか試合のオファーさえかからない。これが21世紀の柔術の現実だ。
20世紀のグレイシー柔術は世界最強であり神秘の格闘技だった。21世紀にブラジリアン柔術と名を変えた柔術はただの格闘技の中のひとつとなった。柔道や空手は素晴らしい格闘技。ただし総合格闘技のルールで勝てるだけの技術はない。だが、格闘技とは本来そういったものだったのだ。
ボクシングはパンチのみで闘うというルールに則って試合を行うのだ。ボクシングでキックをしたら強いねと褒めてもらえることはない。反則になるし、プロの試合でそんな馬鹿げた反則をしたら試合出場停止になるだろう。さらにはライセンス停止になるかもしれない。