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雀王決定戦19回戦(全20回戦)南4局オーラス親番。
トータルトップは鈴木たろう。18回戦までのポイント差は165ポイント。

たろうは現状箱を割っている。
この半荘
トップ目である角谷との点差は約20000点。

つまりこの手を6000オールで仕上げられたら、トータルで一気にたろうと40ポイント差以内。つまり十分射程圏内まで詰め寄ることができるということだ。

タイトル戦の決勝は今まで何度も何度も負けてきた。その負けパターンの多くが
前半でビハンンドを負い、取り戻そうと無茶をして自滅するパターンだった。

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普段の麻雀だってそう。たとえ東場に大きくビハインドを負ったとしても――

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オーラスまでにマンガン圏内の差をキープできれば可能性は十分残る。

最後まで諦めない姿勢とは――
しゃにむにあがこうとする姿勢ではなく、最後まで条件を残そうとする姿勢だと思う。

負けを挽回するため明らかに分の悪い勝負を繰り返すことは
このあと来るかもしれないチャンスを放棄してしまうことと同義だ。

道中300ポイント近く離れた時もそう。絶対に逆転する。目的はこれ以上にないくらい明確なのだ。ならば逆転するための最適手段は何なのか―― ずっとそればかりを考えた。

人間には心がある。心があるが故に精神面は誰しも脆い。
どんなに鍛えても精神面は変わらない。だから鍛えるべくは精神面ではなく技術面だ。

技術が上がれば自然と勝率は上がる。
勝率が上がれば自信もつく。自信がつけば精神も自然と安定するはずだ。

勝ちパターンの試行錯誤。麻雀の結果に対する理解。
幾度の敗戦から転機を見出し、勝利の経験を積み重ねることによって得られた技術。

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メンタルの弱さが敗因となることはない。そんなの実力不足の言い訳でしかない。

真に実力が備わっているならば、たとえ道中どのような不利を受けたとしても簡単に心が揺らされることはない。この逆転手は角谷に阻まれてしまった。

この決定戦、今までどんなにポイントを離されても直ぐに次の準備は出来ていた。
だがこの時ばかりは現実的なチャンスが実らなかったショックで――

あ、負けたかも――

決して諦めた訳ではなかった。しかし次の準備に思考を巡らすよりも先に
初めて考えても全く意味がないようなことを心の中でつい思ってしまったのだ。

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最終半荘東3局、角谷はマンズの染め、たろうは六筒:麻雀王国を切っていた。
現状はトップ目の角谷と18200点差、2着目のたろうと2900点差だった。

現状考えられる現実的な優勝までのプランは
たろうとトップラスなら37800点差、角谷が2着なら20200点差といったところ。

そう考えるとこのタンヤオドラ3、ハネマンを狙いリーチするよりも
たろう、または角谷からの直撃を狙い、ヤミテンに構えたほうが明らかに優秀だった。

木原38000点 角谷30000点 たろう17000点、小川15000点

オーラスはたろうが親。
最後まで条件を残そうとする姿勢を貫けば、この並びでオーラスを迎えたとしても、ハネマンをツモることができれば逆転は可能だった。

前の半荘、逆転のチャンスを逃したことで焦りが生じ
自分の実力不足が故に、ダマテンの発想がこの時思い浮かばなかった。

「勝ちに不思議な勝ちあり 負けに不思議な負けなし」 とは
自分の技術以外に敗因を求めては、この先あなたの成長は見込めませんよ。

といった訓示のようなもの。
最終的に勝つための構想を事前に十分練っていること。不測の事態にも次の準備が直ぐに出来ること。それこそが麻雀の技術、麻雀の実力の証だ。

もしも精神が揺らされて不利な選択を選んでしまうのだとしたら、それは己の技術が稚拙だったから、勝つための実力が不足しているから起こる現象に他ならない。

インタビューで「下手くそだから負けました」と言ったのは謙遜ではなく本音です。
今週末には第15期雀竜位戦B級が始まります。結果を出すことを目標にするのではなく

「最後の最後までしっかりと打つ!」「持てる技術を全て出し切る!」
ことを目標にして挑戦したいと思います。最後に、応援してくださったみなさま。

本当にありがとうございました。