今年で50周年を迎え、最新作『007 スカイフォール』の公開が間近な『007』シリーズ。好調に思える本作ですが、実は山あり谷あり、一般には知られていないエピソードあり...。ということで、今日は『007』の知られざる歴史を紐解いてみたいと思います。
それでは、以下からボンドトリビア11連発をどうぞ。
1:原作者のイアン・フレミングは、最初、ジェームズ・ボンドの権利をたった1000ドル(約8万円)で売却した
1954年、イアン・フレミングは『カジノ・ロワイヤル』のドラマ化の権利をCBSに1000ドルで売ったそうです。番組の制作側はバリー・ネルソンをジェームズ・ボンド役に起用し、Climax Mystery Theaterシアターのアンソロジーシリーズの1部として放送しました。CBSはアメリカ人視聴者向けに、ジェームズ・ボンドを「ジミー」の愛称で呼んでいたんだとか。同作は上の動画で見ることが出来ます。
2:ジェームズ・ボンドはイアン・フレミングの失敗したTV脚本から利益を得た
NBCのプロデューサーであるヘンリー・モーガンサー3世は1955年、フレミングにジャマイカで撮影する『Commander Jamaica』か『James Gunn: Secret Agent』という名前の30分もののアドベンチャーシリーズを作らないかと持ちかけ、フレミングはボンドを思わせるキャラクターを登場させた28ページのパイロットを書いたそうです。
しかし、この企画は頓挫。そこで、フレミングはこの脚本を元に小説版『ドクター・ノオ』を書き上げたんだとか。また、1958年にフレミングはCBSのテレビシリーズ企画用に6話のアウトラインを書きましたが、この企画も実現することは無く、再びこの中の3話を007シリーズ第1短編集『007号の冒険』に利用したとのこと。なお、フレミングはスパイもののテレビ番組『0011ナポレオン・ソロ』の展開に断片的に関わっていたそうです。
3:ジョン・F・ケネディ元大統領は、どのようにフィデル・カストロを破れば良いのか尋ねたことがある
ジェームズ・ボンドの小説はイギリスでは流行っていましたが、アメリカでの評判は今イチ。しかし、ジョン・F・ケネディ元大統領が1961年にライフマガジンのインタビューでお気に入りの本10冊として紹介したことで見直されたそうです。
ケネディ元大統領は1960年に開催されたディナーパーティでフレミングに会い、そこでフェデル・カストロを倒す方法を尋ねたんだとか。その質問に対し、フレミングは「カストロの髭は放射能を引き寄せるから剃ってしまうべきだと説得すれば、魔力を破壊することが出来る」という奇妙なシナリオを展開したそうです。
ソース:The Kennedys, Fleming, and Cuba: Bond's Foreign Policy in Ian Fleming & James Bond: The Cultural Politics Of 007
4:Mはイアン・フレミングの母親のニックネームである
Mというキャラクターはフレミングが良く知る人物から来ているそうです。表面的には、この登場人物はリア・アドミラル・J・H・ゴドフリー氏という、第2次世界大戦中にフレミングが所属した諜報部隊の司令官に似ていると言われていますが、ゴドフリー氏はフレミングの死後、不快なキャラクターにされたと不満を漏らしていたそうです。
しかし、フレミングの伝記を書いた人物は、Mはフレミング自身の母親がモデルになっていると主張しており、「フレミングがまだ若かった頃、彼の母親は、彼が恐れる数少ない人物の内のひとりだった。母親の不可解な要求や厳しさ、そして情け容赦ない成功への強要は、Mの007の扱い方に不可思議な影響を与えている」と記しています。
ソース: The Life of Ian Fleming, by John Pearson
5:ジョージ・レーゼンビーはスター気取りで横柄な態度を取っていたことで知られている
2代目ジェームズ・ボンドを演じたジョージ・レーゼンビーは、友人でありマネージャーでもあったローナン・オラヒリーのアドバイスに従い、7作目のボンド映画の出演オファーを蹴ったそうです。
映画スターになってからのレーゼンビーは、映画スターらしい振る舞いをするようになり、例えば朝、彼を迎えに来た車の色が気にくわないという理由で追い返したり、更衣室からパインウッドのレストランまで50ヤード(約45メートル)運転させ、ラブシーンの撮影が控えているにも関わらずニンニクを食べたこともあったんだとか。
問題の一部として、レーゼンビーはスクリーンの外でもボンドになろうとしていたことが上げられています。後に、プロデューサーは100万ドル(約8000万円)でボンド役をオファーしたそうですが、レーゼンビーはその倍のギャラを要求したとのこと。
『女王陛下の007』が公開された時、レーゼンビーは反体制グループにのめり込んでおり、ジェームズ・ボンドのイメージになることを拒否。映画のプレミアには、伸びっぱなしの髭に長髪というヒッピーの格好で登場したこともありました。ボンド役を1作で降りた後のレーゼンビーは、1970年代のオーストラリアと香港のアクション映画シリーズに出演しました。
ソース:Bond on Bond by Roger Moore, Hello Goodbye Hello by Craig Brown
6:「リトル・ネリー」の作成者は2年前までスピードレコードを破ろうとしていた
『007は二度死ぬ』に登場したボンドのオートジャイロ「リトル・ネリー」を覚えているでしょうか? あれはWallis Autogyro、またはWA-116と呼ばれるもので、1962年にケネス・ワリス氏が作成したものです。
このオートジャイロは、長きに渡ってスピード、高度、範囲と上層時間で殆どの世界記録を保持して来ました。ボンド映画のデザイナーであるケン・アダムは、ある朝ラジオから流れる「オートジャイロをヘリコプターと競争させたい」というワリス氏の発言を耳にし、ボンドの次回作に使ったら最高だろうと考えたとのこと。
「リトル・ネリー」のシーンは、スモークやロケットの特殊効果は別として、ワリス氏がオートジャイロを操縦したそうです。ワリス氏は偽物のロケットがどれくらい重く、オートジャイロに影響するのか予想していなかった為、深刻な問題を幾つか引き起こしたんだとか。2010年6月、ワリス氏は95歳になってもなお、オートジャイロでスピードレコードを破るべく挑戦したそうです。
7:ゴールドフィンガーはイアン・フレミングの隣人である
イアン・フレミングの隣人は、有名な建築家のエルノ・ゴールドフィンガー氏でした。彼はブルータリズムの建築様式で知られる建築家で、『ゴールドフィンガー』でオーリック・ゴールドフィンガーが金を愛するようにコンクリートを愛していたそうです。実際のゴールドフィンガー氏は、フレミングに小説の出版を止めるように訴えを起こすと脅したこともあったけれど、最終的に考えを変えたそうです。
参考映像:Capturing Space
ソース:The Rough Guide to James Bond, edited by Paul Simpson
8:スポンサーがコロコロ変わるのは『007』シリーズの伝統である
『スカイフォール』ではハイネケンが大々的に広告を出していて驚いた方もいるかもしれませんが、実は『007』で使われる製品がコロコロ変わるのは昔からのこと。オリジナルの小説版では、ボンドは『Times』の読者でしたが、それはフレミングが『Sunday Times』でゴシップコラムニストとして働いていたことがあるから。
次に出版された本は、ライバル紙のDaily Expressで連載されたということで、ボンドは急にExpressの読者に。また、2本目のボンド映画『007 ロシアより愛をこめて』にはボンド映画のプロデューサー作品である『Bob Hope movie Call Me Bwana』のビルボードが登場しました。
ソース:RICHLER, MORDECAI, James Bond Unmasked, Commentary, 46:1 (1968:July) p.74
9:イアン・フレミングは冷戦が1961年までに終わるか心配していた
ジェームズ・ボンドの敵が急にロシアの諜報機関「S.M.E.R.S.H」から「スペクター」に変わったことがありましたが、あれはイアン・フレミングが冷戦が直ぐに終わることを危惧したからなんだとか。
1959年、イアン・フレミングは後に『007』シリーズ長編第8作目『サンダーボール作戦』として出版されることとなる映画の脚本を手掛けていました。しかし、フレミングは『サンダーボール作戦』の製作に2年かかると、1961年には冷戦をテーマとしたストーリーは時代遅れになってしまうのではないかと心配し、新しい機関の「SMERSH」を作ったのだそうです。
ソース: Bond on Bond by Sir Roger Moore
10:イアン・フレミングはボンドの小説を文芸作品にしたかった
フレミングは自身の小説は文芸作品ではないが、「文芸として読まれるようにデザインされたスリラー作品」と言及していました。1957年、CBSに宛てた手紙でフレミングは次のように説明しています。
後に、評論家のウンベルト・エーコ氏が、構造解析の分野を使ってボンドシリーズの小説を厳密に研究した時に、フレミングの主張は立証されたそうです。
11:ショーン・コネリーは『ゴールドフィンガー』のレーザーのシーンで本当に股を火傷するところだった
ショーン・コネリー演じるボンドがテーブルの上に大の字で縛られてレーザーで焼かれそうになるという有名なシーンは、レーザーが彼の股に近づき過ぎてしまった為に危うく大怪我を負う所で、あのコネリーの焦り具合は縁起ではなく本物だったんだとか。
あのシーンは特殊効果担当のアルバート・ラックスフォード氏がテーブルの下に潜み、アセチレントーチを使ってテーブルの下から切り込みを入れ、あたかもレーザーが上から来ているかのように見せていたそうです。
ラックスフォード氏は
とコメントしています。
この間、コネリーはどれ程の恐怖を味わっていたのでしょうか...。
なお、タイトルのトリビアですが、ショーン・コネリーは『ネバーセイ・ネバーアゲイン』でマーシャルアーツのトレーニングを受けていた時に、指導者だったスティーブン・セガールに手首を折られています。
[via io9]
(中川真知子)
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