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久野です。
まず、近況のご報告ですが、
先日、特攻隊員であった池田明義さん
(本年93歳やのにめっちゃ元気!)に久々にお会いしました。
岡山の大名家末裔でもある池田さんは
大阪の旧制上宮中学時代(司馬遼太郎と同期)、
よく大阪の金剛山に登山して千早神社にも参拝したみたいです。
明治大学入学後に日米開戦を迎えたときには、
それまで「(支那/日華)事変」で収めようとして
グズグズしていたイメージが払拭されて
気分が「スッとした」ということです。
昭和18年(1943)に学徒出陣で海軍に入った池田さんは、
横須賀の武山海兵団・砲術学校を経て特攻隊に志願。
昭和20年4月に特殊潜航艇「海龍」搭乗員となりました。
さて、私の研究テーマのひとつに、
楠木正成公(大楠公)の崇敬史というものがあります。
(ほぼ)特攻兵器として知られる「海龍」の実物が現在も、
たとえば江田島の海上自衛隊第一術科学校の敷地にあります。
それを見れば分かる通り、
艦橋のところに大楠公の菊水紋が描かれています。
後醍醐天皇そして皇室の正統に
死をもって忠節を尽くした大楠公たらんと、
当時の将兵たちも決死の覚悟を新たにしたのでしょう。
ただ池田さんは、それがあるから特別な志をもった
というわけもなく、普通にみんな“楠公精神”だった
と当時を振り返っていました。
全国民こぞって楠公精神が称揚された反動か、
戦後はあれやこれやと楠木正成公や
他の吉野朝(南朝)忠臣のイメージを低下させるような
「学術研究」が盛んに行われてきました。
「本当はそんなに立派な人物ではなかった」
「こんな程度の人物を理想化して崇めていたから、
戦前日本はみんな権力者にダマされて
悪い国になっていったんだ」と言わんばかりで、
まさにGHQのもたらした
思想的・精神的な流れを断ち切れないまま、
戦後大手マスコミが広めようとした歴史観の
根幹につながるものです。
私も学者のはしくれとして当然、実証研究を重視してますし、
歴史上の特定の人物を結論ありきで
褒めたり貶めたりすることはありません。
ただ一方で、たとえば国難に立ち向かった
幕末の志士や明治・昭和の軍人が
大楠公に(本当の実像がどうであったにせよ)
一定のイメージを抱き、それを崇敬し、
国防に一命を賭してあやかろうとしたのは紛れもない事実。
そしてどの時代でも、そうした人たちが
実際に我が国をまもり続けてきたのもまた事実なんです。
それを重箱のスミをつつくように「本当はこうだった」
「なのに大楠公をホメ上げて尊敬してた
戦前の日本人は洗脳されてた」みたいな事ばかり言うのは、
たとえば個人的に神というものの存在を信じていない人が
「存在もしない神様を祀るとか言って
神社建てたりする日本人はバカだ」などと評するのと同等でしょう。
戦後蔓延したマルクス主義(唯物論)的歴史学ではなく、
崇敬史(あるいは景仰史)とも呼ぶべき分野の
再開拓が必要とされています。
( 久野 潤 )
---< 編集後記 >---
---< 編集後記 >---
編集後記といっても編集してませんが、和田です。
多くの戦争体験者の話の中に、日本が真珠湾攻撃をが行った時は、
「やったなー!」と思ったそうですね。
私の父もそれが大勝利であったかよりも、
米国にじわじわと締め付けられている感を払拭できたことに
白黒ついて爽快だったそうです。
ところで、今夜は金曜日、
久野潤チャンネルを久野潤先生抜きでやります。
もう、入会して下さった方もいたので、休まず、
和田が一人でやろうかと思っていたのですが、
地政学社・奥山真司さんも参戦してくれるそうです。
しかも、もしかしたらKAZUYAさんも参加するかもです。
では、今夜、よろしくお願いいたします。
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