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駆逐艦「雪風」の数奇な生涯|久野潤チャンネルブロマガ
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駆逐艦「雪風」の数奇な生涯|久野潤チャンネルブロマガ

2016-10-17 11:33


    久野
    です。

    全国8か所での公開講座
    「歴史勉強塾」(れきべん)の参加者有志で、
    4日間台湾の研修旅行に来ています。
    日本では朝夕冷え込むようになりましたが、
    台湾南部は一日中まだまだ蒸し暑いです・・・。

    一日目は高雄空港に到着して、すぐ海軍軍官學校へ。

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    高雄は台湾第二の都市であり、
    また日本でいうところの“江田島”の機能をもつところです。

    日本で戦後の台湾の海の守り(中華民国海軍)には、
    実は日本の貢献があったことはあまり知られてません。

    学校の敷地内には、終戦後に日本から接収された
    日本製魚雷や錨、そして丹陽俥葉が保存されています。
    丹陽俥葉とは戦後の中華民国海軍旗艦であった「丹陽(タンヤン)」
    ――すなわち元大日本帝国海軍の駆逐艦「雪風」の
    スクリュープロペラなんですね、コレが!

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    この学校は普通ならば入場さえ困難ですが、
    格別の御厚意により拝見できました。ありがたいことです。

    昭和15年(1940)1月に竣工した「雪風」は、
    日米開戦当初から最前線を転戦します。
    多くの主要海戦に参加した「陽炎(かげろう)」型19隻のうち、
    唯一終戦まで生き残ったのが「雪風」でした。

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    これまで私も8名の元「雪風」乗組員に取材しました、
    そのうち7名があの壮絶な戦艦「大和」沖縄特攻作戦にも参加しています。

    この「奇跡の駆逐艦」(あちら側での表現は“不死鳥”)
    と言われた「雪風」は、終戦後の復員輸送に従事したのち、
    中華民国に引き渡されて「丹陽」と改名。
    中華民国海軍の旗艦となって蒋介石と共に台湾に移り、
    29年の波乱に満ちた生涯を終えました。

    日本の軍艦がいかに優秀だったかということを示すとともに、
    元「雪風」乗組員たちにとっても大変な誇りとなっています。

    さて日本側は「雪風」返還を望んだものの果たせず、
    錨と舵輪だけが返還されました。
    これはかつて海軍兵学校、
    今は海上自衛隊の第一術科学校や
    幹部候補生学校がある江田島に現存しています。

    ただ、上記スクリュープロペラの説明板は少々残念でした。

    台湾(中華民国)は親日国として知られていますが、
    国家/軍としての公式な歴史認識は
    中華民国側(≒東京裁判)史観なのです。

    「雪風」の説明で「真珠湾攻撃から降伏まで数多くの主要海戦に参加」
    (記事筆者註:「雪風」は真珠湾攻撃不参加)という行で、
    わざわざ"sneak attack"(「卑怯なだまし討ち」)
    という表現が使われていました。

    そして「雪風」が終戦まで活躍したという説明では
    "unconditional surrender"(「(国家全体の)無条件降伏」、
    実際はあくまで軍隊の無条件降伏)なる用語が使われる始末・・・。

    あの戦争とは本当は何だったのかについて、
    中華民国が大陸から台湾へと“移動”を余儀なくされた
    厳然たる事実を元に再考願いたいところです。

    そして何より、日本人の方こそ
    しっかりと史実を学んでゆかねばなりません。

    ( 久野 潤 )

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