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久野です。
台湾研修旅行の二日目は、
朝から台湾本島最南端の鵝鑾鼻(がらんび)へ向かいました。
泊まったホテルの近くの海面に
「ニクソン岩」と呼ばれるものがあって、
米ニクソン大統領の横顔に似ている(!?)らいしいです。
ニクソンは中華人民共和国と国交樹立、
すなわち台湾(中華民国)と断交した大統領ですから、
あまり良い意味でなく名付けられたのかもしれません。
さて台湾は、10月でも焼けつくような暑さです。
そんな中でも「台湾八景」鵝鑾鼻には
多くの中国人らしき観光客が来ていました。
夫婦でのツアーでしょうか、
すごく大胆なポーズで2ショット撮ってます(笑)
さて我々の目的は、ここからフィリピンをつなぐ
バシー海峡で戦没した方々の慰霊です。
「輸送船の墓場」と呼ばれたバシー海峡周辺では、
敵機や潜水艦の攻撃で将兵約20万・艦船200隻以上が
尊い犠牲になったと言われています。
その中にはこれから勇んで戦場に向かう方々もいたでしょうし、
激戦をくぐり抜けてやっと祖国へ帰れるはずだった方々もいたでしょう。
我々も岬からフィリピン方向を望み、「海ゆかば」を斉唱しました。
この近くに、自らもバシー海峡で遭難し
九死に一生を得た中嶋秀次さん(3年前に逝去)が
私財のすべてを投じて建立した潮音寺があります。
12日間漂流する間、もし自分が助かったら、
生涯かけて亡くなった戦友の慰霊をすると誓ったそうです。
先述ニクソンの米台断交に次ぐ
日台断交によって台湾とのやり取りも難航を極める中、
ついに昭和56年(1981)潮音寺は建立された。
ちなみに久野が生まれた翌年でした。
中嶋さんと、同じく戦後旅行会社を経営していた
自分の義兄つながりで御縁があった李陽明さんは、
地元の原発で働きながら私財を投じて
寺の維持に努めているそうです。
(我が家もロクに片づけられないくせに)
清掃奉仕させていただく気マンマンで
着替えも準備して行ったんですが、
「ちょうど来月大修築がありますので、お気持ちだけ頂きます」
と言われて、せめてもと微力ながら寄付してきました。
私もたとえばレイテ沖海戦の経験者に
多数お話を伺いましたけど、皆さん台湾が見えたら
「あー、やっと帰ってこれた」って思ったみたいです。
台湾は“他国”ではなく、自分たちが生まれた時から
“我が領土”でしたからね。
そして自らの固有の領土だけでなく、
広くアジアを欧米から解放し、
そしてまもろうと命がけで戦って下さった我が国の先人たち。
その方々の等身大の思いを伝えるためにも、
帰国後さっそく戦争経験者取材に勤しんでいます。
※「ヒ八六船団」帰らず
※「ヒ八六船団」帰らず
( 久野 潤 )
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