◆◆◆◆◆不思議堂◆◆◆◆◆
その日、阿文は嬉々とした表情で廊下を走った。
手には一通のハガキが握りしめられている。
阿文 「先生!」
阿文の声はやけに弾んでいた。
自室で原稿に唸っていた吽野は、やれやれと、丸まっていた背を伸ばす。
吽野 「どうしたのよ、阿文クン。なんか嬉しそうだね」
阿文 「怪異が出た」
吽野 「えー……またー? ほっとこうよ。そのうち居なくなるって」
阿文 「そういう訳にはいかない。ほら! このハガキを見ろ」
阿文は吽野の手にハガキを押し付ける。
吽野 「何よこれ?」
阿文 「仕事の依頼だ。オカルト雑誌に『怪異体験・大募集』と広告を出したから、それを見たんだろう」
吽野 「いつの間に? 広告費かけすぎじゃない?」
阿文 「仕方ないだろう。先生の原稿料だけじゃ生活が苦しいんだ。僕たち二人で、これから怪異をバッタバッタ倒して、生活費を捻出しよう。さながら、令和のゴーストバスターズだ」
吽野 「張り切ってるのはいいけどさ、俺、気が進まないよ〜」
阿文 「先生、いいから読んでくれ」
阿文の目は好奇心が抑えられず輝いていた。
普段は常識人ぶって、飄々とした涼しい顔をしているくせに……
その実、彼は新しいことが大好きで、興味をくすぐられたら
首を突っ込みたくてしょうがない。
生活費がどうとか言って大義名分を振りかざしているが、
吽野は阿文の性格を痛いほど理解していた。
だから、はあ、と一息ついて、ハガキを渋々受け取ってやった。
吽野 「たく、君って言い出したら聞かないよね。
えーと、なになに……」
吽野はハガキを読み上げた。
吽野 「『こんにちは。僕は今、大変困った状況に陥っています。のっぺらぼうに顔を盗られてしまい、自分がのっぺらぼうにされてしまっているんです。助けてください。そちらに伺いたいのですが、顔が無いので目立ってしまって出歩くことができません。下記の住所を訪ねてもらえないでしょうか』」
阿文 「なかなか面白そうな案件だろう?」
読み終えるや、阿文は矢継ぎ早に感想を求める。
ところが吽野は怪訝な顔で、ハガキを机の上に放った。
吽野 「これって悪戯じゃない?」
阿文 「どうして決めつけるんだ」
吽野 「よく文字が書けるよね? のっぺらぼうなら、目、ないんじゃない?」
阿文 「ああ。確かに……会って確かめてみようじゃないか」
吽野 「ええ〜……」
阿文は今にも不思議堂を出るつもりらしい。
支度をしろと吽野の腕を引っ張る。
まったく、子供のようだなと思いつつも、
吽野は根負けしてしまった。
◆◆◆◆◆面無(つらなし)の部屋◆◆◆◆◆
二人はハガキの住所を頼りに差出人の家に向かった。
そこは、古いアパートの一室だった。
阿文 「住所の場所はここだ」
アパートの外観はボロボロで、誰も住んで居ないように思われた。
吽野 「大丈夫? 怖い人が住んでるんじゃない?」
吽野は怯えていた。
ハガキ自体が悪戯で、部屋に入ったが最後、
身ぐるみ剥がされそうな恐怖を覚える。
一方の阿文は、
阿文 「とりあえずチャイムを鳴らそう」
吽野 「あ、ちょっ……」
好奇心が優っているのか、怪しさ満点の状況にもお構いなしだ。
吽野の制止も聞かず、部屋のチャイムを押す。
ピンポーン。
面無 「はい……」
返ってきたのは、か細い声だった。
玄関の扉がうっすらと開き、隙間から人間の姿が覗いた。
顔は見えなかったが、声からして若い男だとわかる。
とはいえ、確信は持てない。
フードを目深に被っているので、顔ははっきりとはしなかった。
阿文 「ごめんください。不思議堂の者ですけど」
面無 「ああ、待ってましたよ!」
住人は明るい声音で言った。
阿文 「お部屋に入ってもいいですか?」
面無 「誰にも見られたくないので、入ったらすぐに扉を閉めてください」
阿文 「かしこまりました」
吽野と阿文は部屋に入り、言われた通りに扉を閉めた。
面無 「……すみません、ご足労おかけしました」
阿文 「いえいえ、お気になさらず。出張は大歓迎ですので」
面無 「僕、面無一男(つらなし かずお)といいます。大学生です。……もう、どうしたらいいのか、わからなくて……」
面無と名乗ったその人物は、想像と異なり、至って普通だった。
こちらを貶める意図を感じない。
ただ、吽野たちに背を向けて話し続けるのは、気になった。
吽野 「ねえ、その顔、本当にツルツルの、のっぺらぼうなの?顔が見えないと信じらんないよ。そのフードをとって見せて」
阿文 「おい、先生。いきなり失礼だろう」
面無 「わ、わかりました」
面無は素直に吽野の要求に応じ、目深に被っていたフードを外した。
露になった顔面はつるりとし、目も鼻も口もなかった。
阿文 「うわっ!?」
思わず阿文の口から、驚きの声が漏れてしまう。
面無 「うお、す、すみません!?」
阿文 「あ、いや……こちらこそ、すみません。わかってはいたのですが、少し驚いて……」
面無 「そうですよね……」
阿文 「本当に、目も口も鼻も……顔の中身が何もないですね」
吽野 「それ特殊メイクじゃないの」
面無 「違いますよ! ほら、触ってみればわかりますから」
吽野 「つーか、俺たちのことも見えてるんだよね? どうやって喋ってるんだ?」
面無 「僕にも、自分がどうなってるのかわからないんです。途方に暮れてまして……」
阿文 「どうしてのっぺらぼうに? 経緯を教えてもらえませんか」
面無 「……こちらに来てください」
吽野 「こちらって?」
面無 「向こうの部屋……洗面所です」
吽野と阿文は面無に導かれて、部屋の奥の洗面所へと連れていかれた。
面無 「この鏡の中を覗いてみてください」
面無は洗面所の鏡を指さした。
面無 「鏡の向こうに、僕と同じ格好の奴が立ってるでしょ」
吽野 「そりゃそうだ。鏡なんだから」
阿文 「あ!」
吽野 「どうしたの、阿文クン」
阿文 「鏡の中の面無さんに、顔がある」
吽野 「……わっ、ほんとだ!」
阿文の言う通り、鏡の中にいる面無には、しっかりと顔がある。
太く黒い眉、少し釣った目、薄い唇。朴訥とした普通の青年の顔だった。
本来はこんな顔なのか、と阿文は不思議に思いながら、鏡の中を見つめる。
すると、
のっぺらぼう 「あーん? 誰だ、そいつら。お前の友達か?」
鏡の中の面無はこちらに向かって喋りかけてきた。
吽野 「こりゃあ、間違いなく怪異だね」
気味が悪いと吽野は一歩下がる。
「のっぺらぼうに顔を盗られた」と言う状況は、間違いないらしい。
吽野や阿文が怯んでいるのを察して、
気分を良くしたのっぺらぼうは、高笑いをした。
のっぺらぼう 「ぎゃはは! それがどーした! 悔しかったらこの顔、取り返してみろよ!」
吽野 「……なんかムカつくな。ぶん殴りたくなる顔だ」
面無 「それ、僕の顔です」
吽野 「表情、って意味だよ」
のっぺらぼう 「お前も大概バカみてーな顔だよな! この白髪頭〜」
吽野 「ちぃっ」
阿文 「先生。煽り耐性がなさすぎるぞ」
状況を憂いた面無は、事の経緯を語った。
面無 「数日前、歯を磨いていた時に、いきなりこいつが現れたんです。気づいたら、僕の顔が奪われていました」
のっぺらぼう 「ぎゃは! あんまり、お前の顔が間抜けだから、からかってやったのさ!」
阿文 「のっぺらぼう。お前はこの鏡の中に棲んでいるのか」
のっぺらぼう 「あたりめーだろ! この部屋は俺様のもんだ。気に入らねーなら、さっさと出ていきな」
吽野 「この部屋、事故物件かなにか?」
吽野は気の毒そうに問いかけた。
こんなのが棲みついていると知っていたなら、
面無だって部屋を借りなかっただろう。
面無 「いえ。不動産屋からはそんな話聞いてませんけど」
吽野 「じゃあ、こいつが勝手に棲みついたのか」
阿文 「先生、どうする?」
吽野 「どうするったって。まずはひっ捕まえないと話にならないよ」
阿文 「うーん、しかし……鏡の中に手を突っ込む訳にもいかないだろう」
三人が手をこまねいている様子が嬉しいと見えて、
のっぺらぼうはさらに気分を良くして煽った。
のっぺらぼう 「ぎゃはぎゃは! できるもんならやってみやがれ!」
吽野 「腹立つ〜」
阿文 「憎たらしい奴だ」
のっぺらぼう 「ばーかばーか!」
吽野 「ちっ!……このやろ!」
あまりに煽ってくるので、吽野は腹を立てた。
怒りのあまり、舌を出すのっぺらぼうを鏡越しに叩く。すると、
ガシャン!
鏡は勢い余って割れてしまった。
吽野 「あ! やべっ!」
のっぺらぼう 「ぎゃあっ」
のっぺらぼうは気の抜けた悲鳴をあげた。
阿文 「何をしてるんだ、先生っ」
吽野 「いや、軽く叩いたつもりが……! まさか割れると思ってなくて!?」
吽野は青ざめた。
拳を退けると、蜘蛛の巣のようなひび割れ広がっている。
情けない声をだした吽野の手を、阿文は掴む。
阿文 「怪我はなかったか?」
吽野 「それは大丈夫……って、あれ?」
阿文 「どうした?」
吽野 「鏡の中に、のっぺらぼうがいなくなってるぞ?」
言われて、阿文は目の前の鏡を直視した。
さっきまで映っていたのっぺらぼうは、
鏡の中から忽然と姿を消していた。
吽野 「あいつ、どこに消えやがった!?」
面無 「うっ……うう!」
突然、阿文の隣に立っていた面無は唸りを上げて、顔を手で覆った。
阿文 「面無さんっ、どうかしたんですか?」
面無 「ううーーー!」
吽野 「大丈夫かこいつ?」
面無 「うわあああああ! 顔が、顔がーーー!」
阿文 「顔がどうかしたんですか!?」
面無 「顔があるー!!」
阿文 「え?」
顔から手を離すと、そこには確かに顔があった。
それはさっきまで鏡の中で見ていたのっぺらぼうについていた顔だ。
面無 「ほら! これ、鼻ですよ! こっちは口! 目も……!」
大袈裟な様子で顔をベタベタと触りながら面無は大喜びした。
吽野 「おお! 本当だ〜」
面無 「やった! やったー! 顔が帰ってきたーー!」
阿文 「よかったですね、面無さん」
面無 「ありがとうございます! お二人のおかげです!」
吽野は両手を掴まれてぶんぶん振りたくられる。
しかし、
吽野 「いや、何もしてない……よね?」
吽野は複雑だった。思わず阿文の方に視線をやる。
阿文 「まあ、鏡が割れたのは狙ってやった事じゃないからな」
吽野 「こんな単純なことなら、誰でもできたよ。なーにがゴーストバスターズだ! 意気込んで来たのに、恥ずかしっ!」
面無 「いえ、あなたたちが来てくれなかったら、ここから出られなかったですから」
吽野 「そ、そう? じゃあ……この鏡を割ったこと、許してくれる?」
こんなに喜んでもらえているなら、大丈夫かもしれない。
吽野は調子にのってお伺いを立てた。
面無 「あ、それは請求します」
吽野 「えええ!? おまえ、そりゃないだろ! 助かったんだし、少しくらい感謝しろよ!」
面無 「それはそれ、これはこれですよ。故意の破損だと費用請求されちゃうんで、謝礼金からその分、引かせてもらいます」
面無の言葉に、吽野はがっくりと肩を落としたのだった。
◆◆◆◆◆不思議堂◆◆◆◆◆
その晩のこと。
不思議堂に帰ってきた吽野と阿文は夕飯を済ますと、
今日の事件を振り返っていた。
吽野 「ふわー……。今日は疲れたなぁ」
阿文 「お疲れ様」
吽野 「夕飯も食べたし、そろそろ寝るか。歯を磨いてくるよ」
吽野は早々に腰を上げる。
阿文 「僕もそうする」
湯呑みを下げるのを阿文に任せ、
吽野は一足先に洗面所へと向かった。
◆◆◆◆◆洗面所◆◆◆◆◆
シャカシャカと小気味の良い歯ブラシの音を響かせて
吽野が歯を磨いていると、少し遅れて、阿文がやってきた。
阿文 「それにしても、今日の事件、解決できてよかったな」
吽野 「そうね」
吽野の背後から自分の歯ブラシを手に取り、
歯磨き粉をチューブに出しながら、阿文は出来事を振り返る。
阿文 「最後は拍子抜けしたが……のっぺらぼうなんて珍しいのに会ったな。初めて見たが、本当に、顔に凹凸もなくて、ツルツルなんだな……」
吽野 「ふふふ……」
阿文 「先生? どうした、含み笑いなんかして……」
吽野は、ペッと水を吐き、ゆっくりと顔をあげた。
吽野 「そいつはひょっとして……」
のっぺらぼう 「こんな顔かい?」
阿文 「ギニャーーーーーー!」
吽野の顔を鏡越しに見た阿文は白目を剥いて床に倒れてしまった。
[了]
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