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hiroeさん のコメント

戦後の混乱期、父がまだ子供だったころ、まだその頃は郊外で農業をしていた父の家には、大阪市内から食べ物を求めてたくさんの人が来られたそうです。お金はあっても貨幣価値が下がり、物価は上がり、生活が成り立たたない状態だったようです。
戦後は二度としてはいけない過ちである、これからも伝え続けていかなければ、また同じような過ちを繰り返すかもしれませんね。
No.2
100ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 子供の頃ひとりで留守番するたびに親が帰って来ない夜を想定していた。女の子とつきあい始めると同時にフラれることを想定していた。人生を改めて振り返った時、自分が心配症である余り、いつも最悪の事態ばかり想定して生きているのだと気づく。たとえば、食糧自給率の低下、中国産野菜から検出された過剰な農薬などの報道を見て、「やがて日本の農家は大根一本 1 千万円でも売らない」と言い始めるのではないだろうかと想定し、最終的に自分で有機野菜を栽培し始めたように。  
草の根広告社
『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と

「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。