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  • 「わかめとしらす」

     海に続く小径を降りていくと、潮の匂いがした。都心で今年最初の夏日を記録した日曜のことだ。久し振りの匂いにわくわくしながら浜に出る。 25℃ こそ越えていなかったが、砂浜は太陽を待ち望んでいた多くの人で賑わっていた。波打ち際で打ち上げられた海藻が干上がっていた。匂いを放っているものの正体だ。    数年前までは春が訪れるたびにこんな風にわかめが打ち上げられていた。ビーチクリーンのついでに持ち帰って食べていた。ここ数年は環境の激変による生育不良で、例年 2 月だったわかめの旬は 3 月にずれ込み、かつ収量も少ない為こんな風に打ち上げられたわかめを見る機会もほとんどなかった。  打ち上げらて潮の匂いを放っているわかめも例年より少なく、サイズもひとまわりくらい小さかった。  藻場の減少によりそこで育つ稚魚や稚貝も減っている。 3 月11日に漁が解禁されたしらすも先週の時点ではまだ水揚げがないと地元の網元さんが嘆いていた。   CO2 の排出による温暖化と海の酸性化。海水温の上昇で越冬するウニの食害。プラントの処理水や河川工事で海に真水が流れ込むことによる栄養分の希釈。原因は複合的だがどれ...

    1日前

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  • 「決めなければいけないもの」

     子育てにおいては各家庭にそれぞれのルールがある。  幼児期に気にしていたのは「チョコレートを解禁しているか否か」。中には解禁していない家庭もあり、保護者の方にルールを聞いてからでないとお菓子をあげることはできなかった。    先日問題になったのは「親の留守中に友達と家で遊ぶか否か」。娘が友達の家に誘われたというので 「おうちに誰かいるの?」と聞くと「パパもママもお仕事でいないんだって」と返答があった。妻が「誘われたようなのですが留守中に遊びに行ってもかまいませんか?」と友達のお母さんに連絡を入れた。  在宅勤務なのと、大人の目が届かない場所で子どもたちだけで遊ぶのは問題が起きたときに対処できないと「うちに来て貰って遊んだら?」と提案した。だが、友達は自分の家に娘を呼んで遊びたいのだという。 「大人の目が届かないところで万が一何かあったら責任が取れない」  それは確かにそうなのだけれど、未成年のうちは社会的に責任が取れない。かといって、責任が取れないうちは自由を与えることはできないと言っていると未成年は何もできない。    そんな堂々巡りなやりとりをしていると...

    3日前

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  • 「10年前も、10年先も」

     始発のバスで海辺の町を出る。午前 5 時 48 分。まだ夜が明け切っていない。火を入れたばかりの車内では多くの人が眠り始めている。年に数日こういう朝がある。昨日も帰りは遅かった。家族の顔を見て、短い睡眠を取っただけだ。 10 年前なら事務所で仮眠して翌朝を迎えていたと思うが、さすがに 50 歳を越えるとそうはいかない。待っている人たちがいる。帰る場所がある。そのことを強く実感する。     10 年前までは同じような時間に始発バスで海辺の町に帰って来る日が週に一度あった。まだ夜が明け切っていない空とぼつんと漁火が灯る海を右手に見ながら欠伸をしていた朝が。  その習慣がなくなったのと同時にここで書き始めた。何を書いていくのか自分でも検討がつかないまま書き始めた。感動や発見と出会ったときに人は表現したくなるものなのだろう。必然的に海辺の町で自然とともに暮らす中で感じたことが多くなっていった。参与観察。エスノグラフィー。 8 年前に子どもが生まれてからは、いや、妻の胎内に命が宿ったときからは生命の神秘がいつも観察対象であり、あたらしい感情の扉を幾つも開いてくれた。  たまに東京を懐かしく...

    6日前

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  • 「15分遅れのやさしさ」

     海辺を走る朝のバスにいつも 15 分遅れる便がある。最初はその理由に気づかなかった。渋滞などの道路状況で遅れるのはいつものことなので気にもしていなかったのだ。     15 分遅れる理由に気づいたのは別の日に同じ時間のバスが同じように 15 分遅れて到着したときだった。  タラップを上がってすぐのゾーンに車椅子の方がいた。思えば前回 15 分遅れたときもその方がそこにいた。そこでようやく気づいた。ここに来るまでの間、どこかのバス停で運転手さんが座席を畳み、スロープを出して、車椅子の方の乗車を介助していたのだと。   15 分遅れでやってきたそのバスに乗っただけで、何もしていない自分までもがなんだかやさしい気持ちになれた。遅延するたびに空気が殺気立つ満員電車と違って、 15 分遅れているにもかかわらず車内にやさしい空気が漂っていたからだった。みんなが15分遅れていることをごくごく当然のこととして受け入れていたからだった。  共生社会の実現に必要なやさしさと寛容さを学ばせて貰ったような気がした。  やさしさを乗せたバスが春の海辺をのんびりと走っていく。 うん、たまには遅刻も悪くない。

    2025-03-19

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  • 「今やろうと思ったのに」

       誰もが一度は経験しているのではないだろうか。親に「歯磨いた?」「忘れ物は?」などと言われ「今やろうと思ったのに」とうんざりした気持ちになったことが。眠い目を擦っている朝なら尚更だ。    娘がそのフェーズに入った。母の小言を浴びまくって朝はいつも不機嫌だ。言われているのを見ているのも嫌だし、言っているのを見ているのも嫌になる。家の中の空気が悪くなるのが耐えられない。かといって他人事では済まされない。  夜は夜で同じように小言を言われ、不機嫌なまま寝室に行った娘に聞いた。 「朝、お母さんに言われていることを全部書き出してみようか」  相当溜まっていたのだろう。娘はぶつぶつ文句を言いながら「歯磨いた?」「鉛筆削った?」「給食袋持った?」「遅刻しちゃうよ」等と毎朝のように母に言われていることを書き出した。小言は抑揚のない言葉に置き換えた途端、母親がどれだけ子どもを心配しているかという気遣いに感じられた。  ぼくは小言ひとつ一つの横に「□」をつけた。 「これをタスクと言います。やるべきことを整理して、できたものにチェックを入れていきます」  ぼく...

    2025-03-17

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  • 「小さな恋のものがたり」

     恋心というのは何歳くらいで芽生えるのだろう。心という土壌に恋の種があって何らかの外的要因で芽を出すのか。それとも幾つもの愛の種が生長して恋をしているのか。身体の成長とも連動しているのかいないのか。ひとりの人間を生まれる前から観察してきて、ふとそんなことを思った。    同級生が恋愛小説を読んでキュンキュンしているという話を聞いたのがきっかけだった。恋愛小説と言っても小学校中学年から高学年向けのものだが、自分が余命幾許もないと知った女子中学が大人になるまで待っていられないと恋に生きるシリアスな物語でもある。 「わたしはまだ興味ないけどね」と娘は素っ気なく言う。「まだ」という言葉に「いずれは」という意志も感じた。そういう年齢になってきているんだな、と。見た目は子どもだが、内面では人間として大きな変化が起きているのを感じた。乳歯が永久歯に生え換わるように大人になる準備が始まっているのだと。 「パパは恋をしたときお父さんとお母さんに話した?」と朝歩いているとき娘に聞かれた。 「言わなかったよ」と答えた。 「結婚するときは話したけどね」  恋した相手は自分の母親だけだと思っ...

    2025-03-14

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  • 「いつから集まるのに理由がいるようになったのだろう」

     多摩丘陵を上ったところにある霊園を訪れたのは二年振りだった。平成の終わりに他界した父の七回忌と昨年亡くなった叔母の三回忌だった。同じ霊園に母方の曾祖父や祖父母、叔父と叔母たちも眠っている。父には故郷である熊本の墓地という選択肢もあったのかもしれないが、三男であることと、自分の親兄弟より長く人生を共に過ごしたことから母方の親族と同じこの場所を選んだのかもしれない。いずれにせよ父と母が二人だけで話して決めたことだった。    母方の親族が何年振りかに集った。従兄弟たちもほとんど顔を揃えていた。 「とうとう我々 4 人だけになりました」と献杯の挨拶の時に叔父が言った。総勢 10 人いた母方の叔父叔母は母を入れて 4 人だけになっていた。  小さい頃によく遊んだ従兄弟たちもいつの間にか年を重ねていた。みんないろいろあったのだろう。誰も今どうしているとは訊かなかった。昔話に終始した。 「両親がいなくなると兄弟で集まることも少なくなるのだろうか」という話をした。そもそも叔父と叔母たちがそうだった。祖父母が健在だった頃は正月のたびに全員が顔を揃えていたが二人が他界してからはその集まり...

    2025-03-12

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  • 「夏蜜柑は冬に色づく」

     三浦半島で暮らすようになって知ったことは夏蜜柑が冬に色づくことだ。特に隣町の葉山では庭先でたわわに実った夏蜜柑が日向ぼっこしているのをたびたび見掛ける。    温暖な気候に加え、御用邸のある葉山町では昭和 34 年 (1959 年 ) 上皇・皇后両陛下ご成婚の際に夏蜜柑の苗木が記念樹として各個に配布されたのだという。  それから 66 年。他の自治体に洩れず高齢化が進む葉山では庭の夏蜜柑の木を手入れすることができない家が増えていた。それでも夏蜜柑はたわわに実り、冬が来るとあたたかな陽射しで色づいていく。 「 1 人の 100 歩ではなく、 100 人の 1 歩が未来を作る」をテーマにサステナブルな取り組みを推進している葉山町でこの夏蜜柑を有効活用しているのが有志町民による「葉山夏みかんプロジェクト」だ。  家主が手を掛けられない庭先の夏蜜柑をボランティアの人たちで収穫。町内の学校給食の他、地元の飲食店で食材として地産地消して貰おうと取り組んでいる。   3 月 2 日には季節外れの初夏のような陽気の下、団体が主催する「葉山夏みかん収穫祭」が開催された。今月発売となるある媒体でその取り組みを取材さ...

    2025-03-10

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  • 「満員電車が嫌いな一番の理由」

    「パパは子どもの頃、どんな子だったの?」  娘が頻りに聞く。先日「バックトゥー・ザ・フューチャー」三部作をイッキ見した影響もあるのかもしれない。 「子どもの頃のパパに会ってみたい」と頻りに言う。 「協調性のない子だって学校の先生には言われていたよ」とぼくは答えた。  実際、小・中学校の通知表のコメント欄には毎回「協調性に欠ける」と書かれていた。 「みんなと同じことをさせられるのが気持ち悪かったんだよ」  校庭を行進させられるのが嫌いだった。手と足をわざと逆に動かしたり、微妙に列を外れたりしていた。集合写真はどれもひとりだけ他所を向いている。  一番嫌いなのは満員電車だ。好きな人なんて誰ひとりいない。それなのになくなっていないのは満員電車の存在を誰もが仕方のないものと諦め、当たり前のものとして放置しているせいでもある。その思考停止こそがぼくが満員電車を嫌いな理由でもある。  毎日満員電車で片道二時間掛けて通勤する父を見てきたぼくは「満員電車に乗らなくていい人生」こそが一番の望みだった。にも関わらず、子どもの頃と同じ神奈川県に住み続けているおかげで都心に行くときは結局満...

    2025-03-07

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  • 「静か過ぎる夜だった」

     静かな日曜の夜だった。海辺の町は風さえ吹いていなければ物音ひとつしない。そう、風さえ吹いていなければ。改めて静かな夜だなと感じたのはこのところ風の強い日が続いていたせいだと気づく。    いつも海鳴りが聞こえていた。家の裏手に広がる大楠山では強い風に煽られて木々が叫んでいた。   12 月から少雨による乾燥が続いている。集落の裏手に森が広がっているこの海辺の町もロサンゼルスの森林火災が他人事ではなかった。今度は岩手県の大船渡だ。尾根伝いに火の手が迫って来る様子を見るたびに目の前の山と重なる。  この辺りは古い木造家屋も少なくない。夜になると風呂を焚く薪の匂いが漂ってくることもある。日本では自然発火することはないと専門家は語っているが、乾燥と強風があれば煙草のポイ捨て一本で大惨事になる。気候変動の怖さは夏の暑さや豪雨災害だけじゃない。森林火災もまた温暖化の影響による極端気象が引き起こしている。  理不尽なのは被害が CO2 の排出量に比例しないことだ。多くのエネルギーを使う都会ではなく、自然とともに暮らしている集落から被害に遭っていく。   15 年前に移住した頃と比べると急...

    2025-03-05

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