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  • 「環境省と文科省」

    「卵のパックなどのプラスティック容器を持って来るように」という指示が学校からあった。図工の教科書に載っている工作の為だった。卵パックなどのプラスティック容器にカラーセロファンを貼ってステンドグラスを作るのだという。   「ごめん、うち卵のパックない」と妻が言った。卵は近所の養鶏場で買っている。産み立ての卵だ。いちいちプラスティック製のパックなどに入れたりはしない。入れてくれてもビニールの袋だ。こちらで籠を持っていくときもある。 「そうか」と図工の教科書を前に困っている娘に「卵のパックを持って来れる家庭の方が少ないんじゃないの?」とぼくは聞いた。地元の人の多くが同じ養鶏場で卵を買っているのではないかと思ったからだ。  環境省がレジ袋を有料化したのは 4 年前のことだ。 2021 年には「プラスティック資源循環促進法案」が閣議決定された。使い捨てプラスティック製品の削減を求める法律だ。 以後、卵のパックを紙製にするメーカーも増えている。  にも関わらず、だ。文科省が 2024 年度の教材として認定した図工の教科書には「卵のプラスティックパックを使った工作」が掲載されていて、家庭...

    13時間前

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  • 「この街」

     葉山芸術祭が今年も幕を開けた。葉山周辺で暮らすアーティストたちが自宅などを開放して作品を展示販売したり、ワークショップを行ったりする住み開きイベントだ。三浦半島の地図を手にした人々が街歩きをしながら点在する会場を巡っていく。絵画。写真。陶芸。テキスタイル。こんなに大勢のアーティストが葉山という小さな町で暮らしていることにいつも驚かされる。中には娘の同級生のお父さんやお母さんもいたりして、アートがより身近なものに感じられる。    週末、森山神社でオープニングセレモニーが開催された。オープニングアクトを飾ったのは「かもめ児童合唱団」。三浦半島で生まれ育ったごく普通の小中学生たちだけれどユニバーサルミュージックから音源も発売されているれっきとしたアーティストである。渋谷のラジオでジングルを作って貰ったりと以前から公私ともにお世話になっているミサキドーナツの藤沢宏光さんがプロデュースを手掛けていることもあり、妻と娘とともにライブに足を運んだ。  午後四時過ぎ、メンバーがステージに登場した公開リハーサルが始まる。後列の女の子が客席の娘に手を振っているのに気づく。娘と同じ登校班の...

    2日前

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  • 「話したい誰かがいるという初期衝動」

    「英語を習いたい」と娘が言った。二年生になる少し前のことだった。保育園の頃からの友達が誘ってくれたのだという。彼女は英語を母国語としているお父さんと会話する為に一年ほど前から通っているのだという。    昭和世代のぼくは小学一年生から英語が授業にも取り入れられていることを娘が生まれるまで知らなかった。小学校を卒業するまでに 20 %強の子供が英検三級を取得していることも。中学で英検四級を取るのが一般的だった時代のぼくには大きな愕きだった。ちなみにぼくより若い妻は大学時代に TOEIC を受けるのが一般的だったそうだ。その妻からしても娘はさらに進んだ英語教育時代に生きている。    英語だけじゃない。娘から授業でタブレットを使ったプログラミングを習っていると聞くと教育が時代とともに変わっていることを実感する。アップデートしていることを実感する。同時にアップデートできていない自分に対する焦りも掻き立てられる。英語は話せないけれど、趣味で取り組んでいるスペイン語はもう少しやっておこうとか、プログラミングはできないけど、生成 AI とは仲良くなっておこうと思ったりする。あたらしい時代を生きて...

    4日前

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  • 「贅沢な週末」

     例年より早い夏日を記録した週末、葉山の南郷公園に出掛けた。おやつとコーヒーだけの軽いピクニックだ。娘と同級生のご家族も一緒だ。園内を何周かランニングした後、子供たちとサッカーやバドミントンで汗を流した。    翌日は朝から三浦にある小網代の森を散策。森林から湿地、干潟及び海までが連続して残されている関東で唯一の流域自然だ。往復六㎞程度の散策路を歩いているだけで季節の移ろいを感じられる。多様な生き物との出会いがある。二千種以上の生物がいるという。姿なき鳥たちの鳴き声。初夏の乾いた風。ゴールの干潟ではアカテガニやチゴカニの求愛のダンスに娘たちも大喜びしている。  娘が体力的にも技術的にも対等に身体が動かせるようになってきたのを実感した週末だった。一緒に海辺をランニングできるようになるのも近い気がした。 「コスパの良い休日だったね」と妻は言った。言われてみれば、どちらも駐車場代が無料の上に利用料なども掛からない。その上、週末にも関わらずどちらも閑散としていた。知られていないだけなのだろうか。あるいは少子化であるがゆえの利点なのだろうか。    先日「渋谷は便利だけ...

    2024-04-19

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  • 「ひとりで生きているわけじゃないという実感がぼくをこの世界に繋ぎ止めているのかもしれない」

     その朝は海水温の上昇を実感させられるような大雨だった。娘を車で学校まで送ってから車を家に戻してバスで仕事に向かう。コロナ禍では通勤は専ら車だったがここ一年ほどはずっと公共交通機関を使うようにしている。移動中に原稿が書けること。自動車事故のリスクから解放されること。もうひとつは地球環境に対する配慮――畑をやっていると地球温暖化は喫緊の課題だ。このまま気温の上昇が続けば真夏にトマトやキュウリは育たなくなってしまうだろう。    しかしながら、 134 号線は一年に一度当たるか当たらないかくらいの渋滞だった。通勤通学の家族を送る車があちこちから一本しかない駅までの道に流れ込んでいる。先発のバスにすぐに追いつく。信号の前で停まったまま信号が何度青になっても 1 ミリも動かない。空いていれば 20 分で着く最寄り駅に 1 時間以上掛かっている。仕方ないな、と雨のバスの中で仕事を片付けていく。原稿をチェックしてメールで送付する。落ち着いていられるのは東京で仕事があるときは 1 時間前に現場に着くようなスケジュールで動いているからだ。おかげでバスが渋滞したり、電車が停まったりという予期せぬ事態に遭遇...

    2024-04-17

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  • 「トモエ学園」

     7歳の娘が「窓際のトットちゃん」を読み始めた。妻の実家の本棚で見つけてきた。妻が子供の頃に読んでいた一冊だ。それを毎晩眠る前に自分で読む。最初は音読して読めない漢字やわからない言葉が出てくると添い寝している妻に聞いていたがそのうち無言で読むようになった。物語の世界に没頭しているのが一目瞭然だった。    朝になると着替えながら「パパ、すごいよ。トモエ学園は好きな科目から勉強していいんだよ」なんて教えてくれる。  また別の晩には子供の頃に教えた「船を漕げ」というイギリスの民謡の替え歌が出てきたシーンで「何これ!おもしろい!」と大きな声で笑っていた。「♪よく噛めよ食べ物を」と何度も歌っていた。  廊下でその歌声に耳をそばだてながら「あぁ、娘は今トモエ学園の生徒になっているんだな」と思った。昼間に通っている学校とは別にトモエ学園という物語の中の学校に通っているんだと。 「これは本当にあったお話なんだよ」と読む前に伝えたのもそういう没頭の仕方をしている理由なのかもしれない。福山雅治さんの「トモエ学園」という楽曲を保育園のときに聴いていた記憶がこの一冊と繋がっていたことにもと...

    2024-04-15

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  • 「ただ聞くこと」

     カウンセラーについて学ぶ機会があった。    カウンセラーの役目は話を聞くことだという。あくまで「聞く」だけだ。否定も批判もしない。質問もしない。分析もしない。同情も共感もしない。激励もしなければ、解決策も提示しない ( 解決策を提示するのは映画を見ている観客にラストを話してしまうようなものなんだそうだ ) 。聞かれてもいないのに自分自身の体験を話すこともない。もちろん説教はしないし、命令もしない。 「そうなんだ」 「それでそれで?」  と話者の「心の扉」を開く言葉を投げかけるだけ。話者は話をすることで自分自身の中で縺れ絡まった問題を解きほぐし、感情を整理し、自分の中にある「答え」を見つけていく。それを「ただ聞くこと」でサポートするのがカウンセラーの役目なのだという。だからカウンセラーには人生経験も特別な知識 ( 極端に言えば銀行の頭取のカウンセリングをするにあたっての経済に関する専門的な知識など ) も必要ないという。  ラジオの放送作家に似ていると思った。基本的にはパーソナリティーの前で笑っているだけ。頷いているだけ。必要なのは話を引き出す場作りだ。    子供が...

    2024-04-12

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  • 「徒桜」

     桜を見上げて思うのは、今年の桜を見ることができなかった人たちのことだ。    白い花びらの一枚一枚にあたらしい春を迎えることなく旅を終えた人たちの顔が重なっていく。  今年は特にだ。この三ヶ月でスマートフォンの電話帳に繋がらない番号が三つも増えた。  若い頃は桜が咲くことに喜びしかなかった。新しい季節の始まりに対する期待しかなかった。もちろん見上げた桜に娘を重ね合わせると今だってそういう思いになる。でも、同時に哀しさの成分が年々色濃くなっているような気がする。数年前までは「あと何回桜が見られるんだろう」という自分自身の限りある未来についての悲哀だった。けれど、今年の桜を見られなかったという現実はそれ以上に質量の ある悲しみだった。    たぶん、 5 年前の 3 月に父が亡くなったときからだと思う。父の亡骸とともに病院を出ると市道の桜並木が花開いていた。 3 日前に病院に担ぎ込まれたときはまだ蕾だった。あと一歩で今年の桜を見ることができなかったことが父の無念さを象徴しているように思えたのだ。  これが人生を重ねるということなのだろうか。年を取るということなのだろうか。...

    2024-04-10

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  • 「二年生のランドセル」

    「去年と同じところでランドセルの写真を撮るのどう?」娘が言った。まだ肌寒い春先の河津桜が咲き誇っている頃だった。    一年ですっかり慣れ親しんだランドセルを背負い、去年と同じ桜並木の下を歩いていく。ランドセルの水色。河津桜の桃色と菜花の黄色。時折り通り過ぎていく赤い電車。コントラストが目に眩しい。  歩くたびに揺れるランドセルに最近の成長が次々と思い起こされる。  歯がぐらぐらしていること。あやとりを教えてくれること。漢字がたくさんあるバレエの本を真剣に読んでいること――そんな他愛もない日常のすべてが愛おしくなる。そういう瞬間を忙しさでおざなりにしがちになる自分を恥じた。 24 時間、頭の中に幾つものタスクがある。目は娘を見ていても頭の中では別のものを見ているときがある。そんなぼくは娘の目にどう映っているんだろう。きっと見透かされているんじゃないだろうか。目に映っているものを頭の中でもちゃんと見つめなければいけないと思った。掌で掬った瞬間に指の間から零れ落ちていく娘とのかけがえのない瞬間を大切にしなければと。  娘はどんどん歩いていく。ぼくはカメラを手に追い掛けていく。...

    2024-04-08

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  • 「お前らまだ生きているじゃねえか」

     桜の花弁が春風に舞う頃に、年に一度だけ会う人たちがいる。     32 年前、放送作家として走り始めたぼくが同じ事務所で活動していた人たちだ。 広尾駅から緩い坂道を昇ったところにある南麻布のマンション。昼過ぎから深夜までみんなで一緒に仕事をしていつも明け方までみんなでボーリングをしたり麻雀をしたりして遊んでいた。くだらないこともたくさんした。三宿のラ・ボエムでいつもごはんを食べさせて貰っていた。バハマ・ニューヨーク。初めて海外旅行を経験したのもその人たちとだった。ぼく自身がみんなと一緒にいたのは 5 年ほどだったけれど、振り返ってみればとても濃密な時代だった。血は繋がっていないけど、ぼくにとっては実の兄弟以上に兄弟のような人たちだ。  その兄弟が、いつもみんなの中心で笑っていた上から二番目の兄弟子の命日に集まる。声を掛けてくれるのは今もこの世界でトップを走り続けている師匠だ。本当に有り難い。  みんなで集まって、ごはんを食べながら、今は亡きた先輩の遺影を囲んで、ひたすらくだらない話をする。  集まっている誰もが先輩が亡くなった年齢をとうに越えている。 32 年前は同じ事...

    2024-04-05

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