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  • 「木の上に立って見ている」

     木の上に立って見ているのが親なのだとつくづく思う。見ていると心配になることも多いけれど簡単に介入することもできない。それが子どもの世界だ。大人が介入してさらに面倒なことになったという話もたくさん聞くし、介入しなかったことで取り返しのつかないことになった話も数多く目にしてきた。    いつも一緒に帰っている友達に最近「別の子と帰るから今日は帰れない」と言われるたびに小さく傷ついていた娘の話だ。自己肯定感が下がり、朝が訪れるたびに俯きがちだった。その日の朝は突然こんなことを言い出した。 「あのね、うちのクラスにはね、学校に来たくない子はね、教室じゃないところで勉強できるシステムがあるんだよ」  自分がそうなったときの先手を打っているようにも感じられた。 「へえ、そうなんだ。いいね。うちにも学校に行きたくないときは行かなくていいシステムがあるよね」  逃げたいときには逃げていいんだということを改めて伝えた。 「今日は雨だから車で行ってもいいんじゃない?」  玄関で靴を履き始めたところで娘が言った。友達と登校中に顔を合わせたときの気まずさを回避したかったのだろう。問題を...

    1日前

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  • 「地球が温暖化するとサンタクロースが来られなくなる」

      11 月も半ばだというのに娘が半袖で学校から帰ってきた。 「だって暑かったんだもん」    秋の冷たい空気の中でも強い陽射しがあれば 20℃ を越える。温室の中にいるみたいに体が汗ばんでくる。これも温暖化の影響なのだろう。あったかくてよかったね、なんて暢気なことも言ってはいられない。 「このままだとサンタクロースは来れないかもね」と口にしていた。 「確かに、あんなに厚い服を着てたら来れないね」  娘も頷く。彼女は温暖化について少しずつ理解している。そのメカニズムも、このままだと地球がどうなってしまうのかも。 「どうしよう。地球が温暖化したらサンタクロースは日本には来なくなっちゃうのかな」  北極の氷が溶けてホッキョクグマが絶滅することより、海面が上昇して街が水没することより、子どもにとっては冬が寒くならないことでサンタクロースが来なくなることの方が切実ということだろうか。  日本では「雪がなくなったら、全員負け」という言葉を掲げ、ウインタースポーツのメダリストやアウトドア業界による気候変動対策アクションが始まっている。  アゼルバイジャンで開催中の COP29 では「...

    3日前

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  • 「ライフワーク」

     取材して、書く。  その反復に小さな喜びを感じている。題材が「自分の人生がある場所」として選んだ海辺の町のことだからでもあるのかもしれない。    「湘南人」というサイトを始め、この町で生きている人を取材して記事にする機会がコンスタントにある。身の回りにある気になっている施設や店に足を運んで話を聞き、写真を撮らせて貰う。メディアとは縁遠い町なので取材されること自体が初めてという人も少なくない。話がその人の人生に踏み込んだものになることも少なくない。仕事ではあるけれど、プライベートのよでもある。しかしながらプライベートで客として訪れていたら聞けていなかったであろう話もある。店を営む人の人生を垣間見ることで無機質だった店の顔が見えてくる。この町で暮らす人の人生を知ることでこの町のもうひとつの顔が見えてくる。  取材という建付があるからこそ聞ける話だし、口下手でコミュニケーション下手なぼくでも本質的な質問をすることができる。放送を始めとするこれまでの仕事で培ってきたスキルにこんな使い方があったのかと目から鱗が落ちている。  分かり合うのが早いのは同じ海と自然を愛して...

    6日前

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  • 「いつかの夕暮れ」

     不登校の小中学生が 1 年で 4 万人以上増えて 34 万 6000 人になったという。先生が忙しく子供同士の関係にまで手が回らないこと。嫌がる子を無理に通わない保護者が増加したことなどが理由として挙げられていた。    小 2 のとき、転校先の熊本で不登校を経験した自分が再びこういうニュースを他人事じゃない気持ちで見るようになるなんて 10 年前は想像もしていなかった。  先日、娘が学校からひとりで帰ってきた。いつも一緒の友達に「今日は○○ちゃんと帰るからダメ」と断られたのだという。別の日には三人で一緒に帰っている中、二人が遊ぶ約束をしているのを聞かされ「今日は○○ちゃんと遊ぶから一緒には遊べないけど遊ぶ場所だけ決めて貰ってもいい?」と言われていたこともあった。 「相手にしなくていいよ」  ぼくはいつもそう伝える。親として内心とても腹立たしいが、そのくらいの年頃の子どもがよく言うことだということも経験上理解している。子どもに限らず人間は他者と絆を深める段階で別の誰かを排除することでよりその他者との間に強い結びつきを確認することがある。動物的な本能らしい。仲間外れにされた方は...

    2024-11-13

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  • 「視点を変える②」

     オールの持ち方と漕ぎ方を習い、ボードを抱えて浜に出る。予感は見事に的中していた。氷が張ったように穏やかな凪の海だった。水底まで見渡せるくらい透明度も高い。海鳥が小魚を求めて水面に集まっている。黒鯛の魚影が岸辺からでも確認できる。 11 月の朝だというのに 23℃ もあった。空は澄み渡り、伊豆半島まで見渡せる。 「いこうか」  中腰でボードの上に乗ってオールで漕ぎ出していく。水の上を滑るように沖に出ていく。 「ゆっくりでいいからね」  妻が立ち上がって振り返る。 「うん」  娘が中腰のままついていく。 「遠くを見るんだよ」  ぼくも立ち上がって背中に告げる。 「わかった」  自転車も車も手元ではなく遠くを見て運転するのがコツだ。そして目線を向けた方へ車体は進む。 SUP も同じです、とショップの方が教えてくれた。 「ママの背中を見て」  娘が先をゆく妻の背中に視線を固定する。 「掴まり立ちだと思って」  海に突き立てたオールを支えにしてゆっくりと立ち上がる。重心が前に傾いても後ろに反ってもダメだ。脳天が空に引っ張られていくのをイメージしてまっすぐに立ち上がる。 「赤ち...

    2024-11-11

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  • 「視点を変える①」

     いつもそばに海がある。そのしあわせを娘にも実感して欲しかった。   生まれたときから公園よりも近い浜辺で砂遊びをしていた彼女にとって海は当たり前にそこにあるものだ。朝採れの生しらすも、歯ごたえの強い黒鯛の刺身や紋甲烏賊など新鮮な海の恵みも、彼女にとっては当たり前の日常だった。    退屈な日常が続くと人は非日常を求め始める。娘も小学校に慣れてからは「今日何かあった?」と聞いても「別に」とか「普通」と返すことが多くなった。凪のような日々というのはそれはそれでかけがえのないものなのだけれど、どこかで刺激を与えてもあげたかった。旅先のような「ここではないどこかで」でなく「住み慣れた場所で」。日々の暮らしの中にも発見や感動がたくさんあることに気づくきっかけを作ってあげたかった。    連休最終日がおそらく今年最後の夏日になる予感がしていた。天気予報の通りなら気温が上がる前の午前中だけは南風も穏やかな凪の海になるはずだった。この湿度ならきっと透明度も高いだろう。 「明日、朝からみんなで SUP( スタンダップバドルボート ) するのはどう?」  娘と妻に提案したのは前夜の夕食の席でだっ...

    2024-11-08

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  • 「あの頃に戻りたいなんて思っているわけでもないのに」

     エスカー待ちの行列を避けてひたすら石段を昇っていく。滲む汗を秋の潮風が拭う。踊り場に出るたびに眩し過ぎる陽射しに目を細める。    ぴょんぴょんと跳ねるように先頭を登っていた娘が疲れを見せ始めた頃、灯台の麓に辿り着いた。 「着いた?」と聞く娘に「ここからだよ」と首を振る。  コッキング苑を過ぎた辺りからがぼくと妻が好きなエリアなのだ。程良く寂れていて客足もぐっと少なくなる。  仲見世で蒸かし立てのまんじゅうを頬張る。島の突端、岩屋の手前にある魚見亭で刺身とイカ焼きをつまみに妻と生ビールを頂く。娘はチャーシュー麺を食べている。  昭和の原風景みたいな懐かしい光景にタイムスリップしたような気分になる。  想い出の灯台は建て替えられてシーキャンドルと名前を変えてしまったし、懐かしい食堂が幾つもしらすピザを出す古民家カフェになってしまったけど。オーバーツーリズムともいえる外国人客の多さに風景は一遍してしまったけれど。  何より、自分が妻と子どもとこの店にいることが一番の変化なのだけれど、江ノ島の一番奥にあるこの店を訪れるたびに、ぼくは昭和のあの頃に戻ることができ...

    2024-11-06

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  • 「塀の向こうのアメリカ」

     塀の向こうにアメリカがある町で育った。    神奈川県大和市。厚木にある米軍基地から飛び立った戦闘機が校庭にいつも大きな影を作っていた。  今住んでいる横須賀には海軍基地がある。原子力空母が寄港するたびに不穏な気持ちになる。  町の中にアメリカがあって良かったと思ったことは正直一度もない。  その理由のひとつはアメリカの食文化にさほど魅力を感じないからかもしれないと最近ふと思った。   80 年代にカンボジア難民を受け入れたことをきっかけに多文化共生地域になった大和市には本格的な多国籍料理が味わえる店がたくさんある。横浜や長崎の中華街同様、パスポートいらずで食べることができる現地の味は日本で外国と共存共生することの利点のひとつではないだろうか。  横須賀のネイビーバーガーに同じような利点を感じられないのはたぶん、アメリカに行ってまで本格的なハンバーガーを食べたいと思わないからだと思う。そんなアメリカにも魅力を感じるものはある。ブロードウェイのミュージカルを始めとするエンターテインメントだ。もしも米軍基地のある町にこうした現地のエンターテインメントが一緒に誘致され...

    2024-11-04

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  • 「あの頃のぼくに出会った」

     あの頃のぼくに出会った。    吃音の少年だった。授業で自らの吃音について綴った作文を朗読している動画を自身の SNS アカウントで拡散させていた。  彼は放送委員として活動している。学校のイベントで司会も勤めるという。そこに至るまでの努力と苦労が折れそうな心とともに綴られていた。同じ年頃に吃音に思い悩んでいたぼくにはここに至るまでの彼の苦労が容易に想像できた。  だからこそ彼の挑戦が眩しかった。ぼくには小学校の頃に揶揄われて登校拒否になったトラウマがあった。中学時代は思っていることの半分も口にしないことで吃音を隠そうとしてきた。彼は吃音を曝け出してでも思っていることを話そうとしている。本当に眩しかった。  作文の途中に彼のお母さんのインタビューが挟まれていた。 「息子が吃音なのは私のせいなんじゃないかって何度も自分を責めていました」  ぼくの母も同じように胸を痛めていたのだろう。学校に行けなくなったぼくを話し方教室に連れて行った母は祈るような思いだったのだろうと親になった今はわかる。彼に会えたこともだけれど、彼の母の言葉を聞けたことがとてもうれしかった。吃音につ...

    2024-11-01

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  • 「独裁から対話へ」

     ようやく普通の国になったという安心感があった。  与党の過半数割れという選挙結果がそう思わせてくれた。投票した候補者は落選したし、投票した党が議席を伸ばすこともなかったけれど、それでもいいと思えた。与党も野党もどの党にとっても思い通りにならないという環境が生まれたからだ。  12年間、この国は独裁国家だった。閣議決定と強行採決。強者の論理ですべての物事が動いていた。支持していた人たちはその気持ち良さに慣れてしまっているのだろう。思い通りにならなくなったことで他者を攻撃し、どうにかして思い通りの状況に持っていこうと子どものように癇癪を起こしている。けれど、誰にとっても思い通りにならないのが本来の民主主義ではないだろうか。正解なんてひとつもない。守るべきものも、考え方も、ひとり一人違っているのが当たり前だ。だからこそ自分と違う相手の声を聞き、良いところは認め合い、悪いところは素直に認め合い、どうにかして落とし所を見出して、前に進んでいく。それが本来の民主主義であるはずだ。  自分と違う他者を排除して前に進むようなやり方は今日でもう終わりだ。衝突も揚げ足取りも分断も今日でぜんぶ終わ...

    2024-10-30

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