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小原信治さん のコメント

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小原信治
>>4
アメリカからありがとうございます。アメリカのだから、ということはないと思いますが大丈夫でしょうか?
No.10
115ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 あたらしい靴で歩き出すには、ぴったりな季節だ。  しかも、今年の春は、僕にとって今までと違う、特別な春だ。ひとつは人生の半分近くにあたる 21 年間、当たり前のようにやって来た夜が来なくなったこと。  この「草の根広告社」は、放送作家を生業とする僕が 2004 年に書き始めたものだ。場所は、この春終了した、とある長寿ラジオ番組のホームページ。「番組サイト作ったから日記でも書いてよ」という放送局の方の言葉がきっかけだった。以来 11 年、日々の想いみたいなものを徒然なるままに綴って来た。  放送作家である僕が日頃から書いているのはテレビやラジオの台本や企画書、ドラマやアニメ、漫画などの脚本と呼ばれるものだ。その多くは演者さんが声に出して読んで下さることで作品となる。見て下さるのは作品や出演者に興味があるからで、書き手である僕個人に興味はない。だから「僕の日記なんて誰が読むんだろう?」という懐疑的な思いが強かった ( それは今でも変わらないけれど ) 。そして手探りだった。自分にエンターテインメント作品以外の何が書けるんだろう。書くべきことがあるんだろうか。いや、そもそも読んでくれる方がいるんだろうか。今でこそ誰もがブログやツイッターで発信するのが当たり前になったけれど、当時はまだそれほどでもなかった。  最初は、 18 歳で初めて自動車のハンドルを握ったときみたいにぎこちなかった ( 今だって何もかもがスムーズいうわけではない ) 。左足でクラッチを踏み、左手でギアをローに入れ、右足で恐る恐るアクセルを踏みながら、左足で少しずつクラッチをつなぐ。目と耳で安全確認をしながら、右手でハンドルをゆっくりと回す。なんて動作をいちいち頭で反芻しながら体を動かすみたいに。でも不思議なもので、運転に慣れた頃には体が無意識に一連の動作をしていた。「運転は体で覚える」と言うけれど、何度も同じ運動を繰り返すことで小脳が一連の動きを記憶するのだそうだ。歩いたり、走ったりするのと同じように。  思えばこの「草の根広告社」もそうだった。無意識に、とまでは言わないけれど「エンターテインメント作品以外の文章を書くこと」を小脳に記憶させるまでに、そのコツみたいなものを掴むのに、 11 年も掛かってしまったけれど。教えてくれたのは、読んで下さっていた方々の感想や叱咤激励だ。書きながら育てて頂いた。書いてもいいんだ、と思わせてくれた。    そんな 11 年の文章をこの春、改めて読み返してみたら、なんだか「人生日誌」みたいだった。都会暮らししか知らなかった 30 代の自分が、旅を通じての様々なものと出逢い、感動と発見を繰り返し、 40 代で海辺の小さな町に移り住むに至るまでの自分自身の価値観の移り変わりと時代背景。そんな瞬間のひとつ一つが刻まれていた。行間に文字にしていないプライベートでの出来事が見え隠れして、照れくさかった。懐かしかった。そして、少しだけ胸が痛んだ。  と同時に、今度はもう一歩踏み込んで書いてみたいと思った。たとえば、 ここに来る前は2人で暮らしていたこと。だけど、ここにはひとりきりで移り住んだこと。そして今、この場所に2人で暮らしていること。そんな 45 歳なりに色々あった人生のアレコレも可能な限り包み隠さず。決して自分のプライベートを見ず知らずの人にさらけ出したいわけじゃない。たぶん、いつかこの文章を読む日が来るかもしれない、子供のことを意識するようになったからだと思う ( といっても予定は未定だけれど ) 。  僕の両親は寡黙だ。どんな人生を歩んで来たのか。どんな想いで生きて来たのか。話して聞かせてくれたことはほとんどない。大人になるにつれて、壁にぶつかるたびに、そういう様々を知りたいと思うようになったけれど、離れて暮らしている今はなかなか訊く機会もない。訊いたところで話してくれるかどうかもわからない。そしてひょっとすると将来、僕自身も自分の子供には口を閉ざしてしまうのかもしれない。だからこそ、そうなる前に書き残してみようと思った。いつか自分の子供が知りたくなっても、永遠に知ることができなくなってしまったときの為にも。  とはいえ、そこまでのプライベートを世界中に可視化する勇気もない。そこで 12 年目となるこの春からは、会員の方のみ、つまりは興味を持って下さる方だけが読むことのできる、この場所を利用させて頂くことにした。   11 年書き続けて来たこの「草の根広告社」というものが、果たしてお金を払ってでも読む価値のあるものなのか。人気番組のホームページという都会の一等地みたいな場所ではなく、海辺の小さな町のような人通りの少ない場所でひっそりと営業しても読みに来てくれるのだろうか。そんな無謀なことに挑んでみたいという思いもあった。 そう、あたらしい靴を履いて。  と、そんな季節に合わせたかのように、カスタマイズできるスニーカーを贈り物に頂いた。デザインはもちろん、タグに好きな文字を入れることができる。注文画面が表示されたパソコンの前で、何にしようかと顔を上げたら、青い海と空が見えた。次の瞬間、すぐにキーボードを叩いていた。  左足に「 UMI 」、右足に「 SORA 」と。    10 代のとき以来、好んでスニーカーを履くようになったのは、実はこの町に来てからだ。   20 代の頃はブランドもののサイドゴアブーツで東京の街を走っていた。時代はまだ大量生産・大量消費の全盛だった。でも、いつもどこか息苦しかった。次第にそういうものから距離を置きたくなって 30 代は横浜の港町で暮らした。最初は長閑だったが、みなとみらいの開発ラッシュとともに息苦しくなった。深呼吸する為に、エンジニアブーツでオートバイに跨がり、海と空が広がる地平線を目指して、何度も何度も旅をした。  そして、 40 歳のとき、ひとり移り住んだのがこの海辺の小さな町だった。目の前にはいつも海と空が広がる地平線がある。振り返れば、豊かな自然の恵みを分けてくれる里山がある。そんな場所で、自分にとって「本当に大切なもの」と真摯に向き合いながら、シンプルに生きてみたかった。  そんな里山での海辺暮らしも、この春でちょうど 5 年目になる。つまらない見栄も張らなくなったし、肩に余計な力が入らなくなった。人やお金に頼らず、自分でできそうなことはとりあえずやってみるようになった。毎日笑っていられるようになった。よく眠れるようになった。そして、毎日大好きな潮の香りがして、ごはんがうまい。  改めて気づかされたこともある。東京の通勤圏でもあるこの場所は、都会ではないけれど、田舎でもない。有名な観光地でもないけれど、独自のビーチカルチャーがある。自然と共生していこうとする価値観がある。たくさんの消費と雇用を生む大規模ショッピングモールはないけれど、「ここにしかない何か」を売りにしている個人商店がたくさんある。  少しだけ肩の凝る話かもしれないけど、ここには自分や家族の命まで預けかねない政治や、不安定で何かあれば破滅を招きかねない経済に期待する国民ではなく、自立して生きていこうとする、自分の手で「持続可能な暮らし」を実践していこうとする市民が大勢いる。  そんな人々の生き方や価値観は、僕自身とても共感するものだし、勉強もさせられる。そして、それは「これからの未来」に必要なものなんじゃないかと、日々強く感じている。  なんて、最初からとりとめもなく長くなってしまいましたが、今日からこの場所で始まる「草の根広告社」では、「海辺暮らしのミニマリズム」とでもいうべき、ここでのシンプルな暮らしについても、書いていこうと思っています。かくいう僕自身も今の暮らしに踏み切るまでに、先人の方々の経験を読み漁りました。だからそういう生き方を模索している人の参考になれば嬉しいし、そうでなくとも、ここにしかない「海と空の写真」が、都会で生きている方の深呼吸になればと願っています。  週 3 回、特別な事情のない限り月曜、水曜、金曜に更新します。
草の根広告社
『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と

「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。