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小原信治さん のコメント

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小原信治
>>3
地元のお年寄りの方と話していると僕と同世代の子供たちが都会に出て行ってしまったという方も少なくないです。一方の僕自身も自分が生まれ育った地元や肉親にはなかなかやさしくなれないけれど、故郷のあたたかさや親世代の思いには触れていたい。そんな血のつながりの中ではうまく行かない者同士の欠けているものが合致しているのかなと最近思ったりしています。
No.5
104ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 海の前で暮らしているからといって、毎日海ばかり見てのんびりしているわけではない。映画館の前で暮らしているからといって、毎日映画を観ているわけではないのと同じように。東京での打ち合わせが立て込んでいるときは当然海からは離れているし、海の見える家にいても海を見る暇も無くひたすら原稿と向き合っているときもある。  雨の日ならまだしも、天気が最高に良かったりすると勿体ないなあと思う。こうやって原稿を書いているだけなら何も海の前じゃなくたっていいじゃないか。むしろ東京に住んでいれば通勤だって楽なのにともうひとりの自分が囁く ( 時もたまにある ) 。サーフィンや釣りが趣味ならばまだしも、僕自身の海との関わりと言えば、浜を散歩してビーチグラスを拾うか、ぼんやり水平線を眺めてここが地球であることを確認するか、年に何度か SUP をするかくらいなのだ ( もっとも里山で営んでいる菜園は都会ではなかなか借りることのできないものだけれど ) 。  海の側で暮らしているからこそ、海の側に仕事場があるからこそ、海と遊べないことに対して折り合いをつけなければならない時もある。他の人はどうしているんだろう。ひょっとすると僕みたいにあくせく働かなくてもいい人ばかりなんだろうか。そんなことを考えていたとき、あるアーティストの海辺の仕事場を覗かせて頂く機会に恵まれた。  
草の根広告社
『草の根広告社』は、放送作家を生業とする僕が、2004年からとある番組サイトで日々の想いを徒然なるままに綴って来た「人生日誌」です。大都市東京の通勤圏にある海辺の小さな町「秋谷」で暮らしている現在は、本業の傍ら、浜でビーチグラスを拾い、畑を耕し、海沿いを走りながらの日々の思索と

「海辺暮らしのミニマリズム」について書いていこうと思います。ともに掲載する「海と空の写真」が読んで下さる方の深呼吸になればと願っています。