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金平桂一郎の興行師のひとりごと
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金平桂一郎の興行師のひとりごと

2012-09-18 09:06
    皆様、こんにちは。協栄ジム会長 金平桂一郎です。

    メルマガ第2号は、昭和43年に、時の世界フェザー級チャンピオン、ラウル・ロハス選手からダウンを奪い、米国ロサンゼルスで、日本人として初めて海外で、世界タイトルを奪取した、西城正三先輩のサクセスストーリーの話から始めましょう。

    西城正三先輩は、ロサンゼルスに渡るまでは、日本のリングでは、顎を骨折したこともあり、中堅選手の扱いだったようです。

    しかし、昭和40年頃から、当時、世界一の大プロモーターであった、ロサンゼルスのジョージ・パーナサス氏の知己を得た、先代正紀は、先ず、王者は失ったものの、世界ランキング1位であった、海老原博幸先輩を後の世界チャンピオンであり、メキシコフライ級チャンピオンであった、アラクラン・トーレスとの冒険マッチ2試合で、日本に海老原ありと再び示しました。

    その勢いを駆って、西城正三先輩を始めとする、協栄ジムの選手達をロサンゼルスやサムエル・一ノ瀬が君臨していた、ハワイにも送り込んだのでした。

    ここまでは、語り継がれている話でありますが、私からの視点ですと、当時の親父は、一種、スランプに陥ったと思うわけです。

    何故なら、海老原博幸先輩が、初防衛戦で陥落してしまい、金平正紀は生意気だし、悪運もここまでと、逆風が吹き荒んでいたことは、想像に堅くないからです。

    元々コネクションも無かった、若僧の、先代正紀が世間評価の移ろいやすさを感じ、米国ロサンゼルスやハワイに新天地を求めていったのでありましょう。

    そこで、新たなる出会いの世界一のプロモーターである、パーナサス氏やハワイの日系社会の名士でもあったサムエル・一ノ瀬氏に大いに、触発された旨は、先代の口からも、良く聞いたものでした。

    今から、思えば、先見の明なのですが、西城先輩がロサンゼルスの自由な空気がボクサー西城正三の潜在的な能力を引き出したのは
    まさに、金平正紀率いる、協栄ジムの奇跡のストーリーのひとつでありましょう。

    続きは、ニコニコ動画でお話させていただきたく存じます!

    今週の生放送は9月20(木)21時半より放送予定です。
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