この章以降いろんな固有名詞が登場しますが、それにしても書き手の趣味があまりにもダシマルですね。

 ところで今日は月末の金曜日であり、一般的な高校生ならば、五日間の苦行の終わりだァ早く授業終われ早く授業終われ早く授業終われだらだら喋ってんじゃねえこのクソ教師、などと朝から教壇に向かって念じ続けたりもしようが、僕は現在一刻も早く昼休みが終わってほしい。

「そろそろか」「そろそろね」「そろそろ」「そろそろ」「そろそろ」「そろそろだな」

 クラス中のさざめき――実のところ全校規模なのだが――の中、隣で黒木が言う。

「……ああ、そろそろだよ」

 プチトマトを噛み潰しつつ苦い顔になる。トマト自体あまり好きではないが約一分後に始まるアレを考えると余計にまずい。

「そんな顔するなよ、アレのおかげで月の最後が潤うんだぞ」

「俺は枯れ果てる」

 肉じゃがをつつきつつ黒木に答え、

「おいおいその歳で腎虚かよってッ」

 食事時に下品な冗談を飛ばした者に女子から発射されるスカッド消しゴムミサイルを後ろの伊瀬が喰らい、

「水墨画でも描こうかなァ」

 母親が執拗に投入する梅干し爆弾を撤去しながらぼやいて、

『ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぱーん! 赤い彗星ハルカのォ! ジェット・ストリーム・アフタヌーン!』

 浅倉大介のインスト曲をバックに従えた大音声がスピーカーから轟き、僕は梅干しを取り落とす。

『月の終わりに溜まった疲れをぶっ飛ばす! 名誉放送委員長・有原『赤い彗星』春香がお送りする三十分のウルトラリラクゼーションタイム! 六月水無月ジューンも終わりですね、ろくに雨も降らないうちにもう真夏みたいな暑さでイヤんなります! 校長先生は至急校門から校舎までの無駄な上り坂に動く歩道を設置してくださいッ! 時速三十キロの!』

 ドッ、と湧き上がる教室。同時多発的に校舎中から笑い声が起こって共鳴している。

『一年生のみんなにはこの放送は三回目ですね、もう慣れたかしら? 月末の金曜日はあたしが昼休み中DJやります! そこ、受験生がそんなことやってていいのかとか言わない! 最近はがんばって勉強時間延ばしてるんだからね! 前年度比五〇%増の一時間半! ちなみに一年生のころは五分で飽きて本読んでましたッ、くたばれ数学!』

 異議なーし、と一部生徒から妙な気勢。全共闘かよ。

『二年生のみんな、そろそろ学生生活ドロップアウトしかけてる人もいるんじゃないかな? ダメよォそんなんじゃ、部屋にこもって2ちゃんねるで顔も名前も知らない相手と馴れ合ってても何も生まれないわ! やっぱりナマのお付き合いをしないとね、ってそこニヤけない! ヘンな意味じゃないわよ!』

「てめえで言ってりゃ世話ねえよ」

 なんとなくご飯をザクザク突き刺しながらうめく。伊瀬に対する先制攻撃のトマホーク消しゴムミサイルが飛来するのが見えた。

『そして三年生のみぃんなァ、来月の期末を終えればいよいよ受験の夏日本の夏天王山デザートストームですッ! あたしも勉強時間を一時間四十五分に大出血延長してクーラー当たりながら乗り切ります! 敵は強大ですが正義は我らにありッ! ジーク・ジオン!』

「ジーク・ジオン!」

 黒木を筆頭とする三年四組のガンダムオタク『黒い三連星』が唱和して女子の冷たい視線を浴びる。女子のガンダムオタク筆頭はほかならぬ春香なのだが。

『いつも通り、ケータイメールでお便り受け付けます! アドレスは、えいちえるけー・あんだーばー・あかいすいせい・あっとまーく・いーじーうぇぶ・どっと・えぬいー・どっと・じぇーぴー! じゃんじゃん送ってきてね! それでは今日はこの曲から、Iceman『GALAXY GANG』!』

 春香のおかげでこの学校に知らぬ者はいなくなってしまったIcemanを聴きつつ、しばし回想する。哲学的頭痛とともに。


 外装と裏腹に内部設備があちこちボロいこの高校には二つの自動販売機が存在する。ひとつは一本一二〇円でドクターペッパーが三つも並んでいる悪趣味な代物、通称「アメリカ」。もうひとつは一本一〇〇円でペプシのロング缶が二本並んでいるため前者より圧倒的に人気があるが、時々飲み物が出てこないことがあるこれまた困った代物、通称「ロシア」。元々ロシアン・ルーレットと呼ばれていたらしいが僕たちが入学した頃にはすでにこの名前だった。

 ロシアに金を喰われたときは、一定の衝撃を加えると運がよければジュースが転げ落ちてくる。衝撃を加える方法には殴る蹴るバンバン叩くなど各種あるが、成功したあかつきにはすべて「ロシアバスター」と呼ばれ、高確率でこれをこなす者は「ロシアマスター」と称される。

 そして春香こそは、一年の四月半ばからロシアマスターに君臨し続ける猛者であった。入学して一週間と経たないある日の昼休み、三年生がロシアの前で困っているのを目にした彼女は渾身の廻し蹴りを敢行、初対決にして見事にウーロン茶をゲットしたのである。それはいいものの、高校デビューといきまいて校則違反ギリギリの短いスカートをはいていた春香は純白のショーツをギャラリー全員に披露することになり、呆れかえる僕の隣で黒木がぼそっと呟いた「連邦の白いヤツ」が人口に膾炙、ロシアマスターよりはむしろ「連邦の白いヤツ」「白い人」「白い子」「白先輩」という、次第に原形をとどめなくなっていく通り名で呼ばれていた。それだけ出撃回数が多かったわけで、

「白ちゃん白ちゃん、今すぐロシアまで来てください」

 などと奇ッ怪な放送が休み時間に流れ、肩を鳴らしながら颯爽と出て行く春香のあとをなんとなくついていく僕と伊瀬と黒木、というのもよくある光景だった。