younghopeさん のコメント
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10 月 8 日、浜離宮朝日ホール(小ホール)で、 インガ・モナエンコワ、エオーラ・パク監督「希望あふれる自由の大地」上映 多民族国家としてのロシア 知られざる歴史 ― 朝鮮民族ロシア移住 150 年に捧ぐ ― を見に行った。
この映画はもともと、極極東ソ連、朝鮮半島との国境周辺に150年前に移住してきた朝鮮民族が、彼らが日本のスパイになることを懸念したスターリンの命令により強制移住させられた歴史を描いたものである。 詩人、ボリス・パクが「「1937年」という詩を書き、その詩をもとに映画が作成されたのである。
私は1993年から1996年駐ウズベキスタン大使をしていた。
ウズベキスタンにはかなりの朝鮮民族が住んでいる。
何かの縁で、この集落に招待された。
そこで彼らを襲った悲劇を聞かされた。
日本との戦争を恐れたスターリンは、極東にいた朝鮮人を中央アジアに強制移住させたのが自分達の歴史と
地続きの大陸では、米国だけでなく、ロシア圏も人種のるつぼであることが分かってくる。土着民族だけでなく、さまざまな理由で移り住んだ人、お話のように強制的に移された人(日本流にいえば島流し)など、あらゆる因縁があって生きている人が、混然としながら、生きていることを知ることができる。政治制度は、米国が共産党を排除するように、ロシア的なものが受け入れられ、米国的なものは排除されているのでしょう。日本が米国と同盟関係にあるように、ウズベギスタンはロシアと親密な関係にあるのでしょう。北朝鮮とロシアは隣同士であり、日本とロシアの関係を改善することは、日本と北朝鮮との関係改善に結びつくはずであるが、米国は何が何でも、日本とロシアの関係改善は、経済的な結びつきに限定させるでしょう。その教訓は、日本と中国の関係においてみられるように、友好平和条約を結んでも、経済的な関係だけに限定されていることで、想定するのが困難ではない。政治家の責任でなく国民が認めることによって、敗戦後米国の日本支配が深化し続けているとみなすべきなのでしょう。戦争というものの責任の大きさを実感するが、責任をとるものがいないし、敗戦を終戦でごまかす民族の限界を感じないわけにはいかない。
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