• このエントリーをはてなブックマークに追加

matzとしさん のコメント

>>8
pfさんの「奴隷のプロ」とは言いえて妙。私も、なるほど、と思いました。

和をもって尊しとすべし・・・ 多くの人は、この言葉が好きだ。私もだが。 ただ、「和」は言うべきことも言わない、日和見、隷属、という当面楽な方向に流れる。大体そうだ。特に権力が腐敗してきても、隷属していた方が当面安泰だから、あえて火中の栗を拾わない、猫の首に鈴をつけない。 権力に対抗する勢力を戦略的に育てよう、という位の考えが現在必要だが、そうはならない。

おしんの「しん」は辛抱のしん・・・「辛抱一筋」、演歌の世界。私も好きだ。これも実に日本人の性格にあっているのではないか?

日本には、政治の話で一晩中喧々諤々というような風土はできるように思えない。政治に関わることを避けよう避けようとする。避けないのは、自分の利害関係に直接かかわるときだけ、・・・が続きそうな気がします。
小学校~高校の主権者教育が大きく変われば将来何とかなるかも知れませんが・・
No.12
93ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
サムソン(イギリス大使館員として日本滞在三十年)著『世界史における日本』からの引用。 徳川政権の歴史は近代の影響が日本に及ぶのに抵抗しようとした歴史であったと言っても過言でない。家康をはじめ代々の将軍は日本人の生活を一つの型に固定させ、変化を防止しようと努めました。この試みは非常な決意を持って行われた。 信長と秀吉の建設的事業は中央集権のもとに日本の統一を目指したものでしたが、足利末期および戦国時代の耐え難い混乱ののちであったために一つの救いとして民衆から歓迎されました。家康が最後に覇権を握り、徳川氏は極めて鞏固な独裁を打ち立てることに成功しましたが、これは一部の外様大名が決して心底から協調しなかったのを除いては万人がほとんど感謝して全体主義的政治体制を受け入れた実例でもあります。 ・徳川時代の日本政治において宗教は小さな役割しか演じなかったが、それは私のいわゆる新興諸学派(特に一向宗
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。