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p_fさん のコメント

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p_f
先達てご紹介の「トルーマン回顧録」の記述-「多くの者(一般の日本人)にはこの切り換え(ボスの切り換え)は、新しい政権のもとに生計が保たれていければ、別に大したことではないのである」
これはまるで、外敵も居る野生に暮らすより、自ら食べ物を取ってくる必要もない動物園の方が居心地がいい-そういう動物の如くです。
小国キューバはゲバラ曰くの「われわれは奴隷になりたいと思ったわけでもなく、また奴隷になりたくないと思ったわけでもない、われわれは奴隷であったのだ」-ここからひっくり返すわけですが、日本の場合、動物園の動物など本来の動物ではない、奴隷に甘んじている人間など本来の人間ではない-そういう醜い自分の姿を映し出す鏡が悉く割られている状況でしょう。来日したオリバー・ストーン監督も「日本は昔、持っていた主権がない。アメリカの衛星国であり、人質なのです」と語りましたが、当の日本人は馬耳東風。年季の入った奴隷のプロとして、これからも その心意気が揺らぐことはないでしょう。
No.3
92ヶ月前
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サムソン(イギリス大使館員として日本滞在三十年)著『世界史における日本』からの引用。 徳川政権の歴史は近代の影響が日本に及ぶのに抵抗しようとした歴史であったと言っても過言でない。家康をはじめ代々の将軍は日本人の生活を一つの型に固定させ、変化を防止しようと努めました。この試みは非常な決意を持って行われた。 信長と秀吉の建設的事業は中央集権のもとに日本の統一を目指したものでしたが、足利末期および戦国時代の耐え難い混乱ののちであったために一つの救いとして民衆から歓迎されました。家康が最後に覇権を握り、徳川氏は極めて鞏固な独裁を打ち立てることに成功しましたが、これは一部の外様大名が決して心底から協調しなかったのを除いては万人がほとんど感謝して全体主義的政治体制を受け入れた実例でもあります。 ・徳川時代の日本政治において宗教は小さな役割しか演じなかったが、それは私のいわゆる新興諸学派(特に一向宗
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。