• このエントリーをはてなブックマークに追加

younghopeさん のコメント

「イジメ問題」を深刻にとらえる力が、社会全体に、欠落している。

イジメ問題の本質は、学校、父兄、職員などは、本来子供たちを守らなければならないのに、三すくみの状態であり、三者の権力を維持するために、他と衝突、摩擦が起きないように配慮し、肝心かなめの「子供」の影が消えうせていることです。障害者多殺事件も同じである。問題の本質は、「国民の優性思想的差別意識」を、どのように方向転換させていくかが問われているが、自己内在する本来の姿を隠蔽する意識が邪魔をして、肝心の障害者を置き去りにして、学園の再建のみに奔走している姿は、滑稽である。

「イジメ」は「差別思想」であるが、真正面に向き合わない。教育者だけでなく、市町村、県、国家まで、本質に切り込まない限り、共生思想など育ちようがない。要は日本人のレベルが「村社会」、「鎖国国家」の域を出ないということは、外国人だからよく見えるのでしょう。

「日本の哲学者のあいだではその時代の原則や政治を攻撃した兆候は少ししかありません」。非常に重い言葉です。知識人が虚心坦懐に反省すべきでしょう。
No.1
93ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
G.B.サンソムは 1904 年に駐日英国大使館に配属。以降 1941 年までの 35 年間日本勤務。コロンビア大学東アジア研究所の初代の所長。『世界史における日本』(岩波新書、 1951 年よりの抜粋。 徳川政権の歴史は近代の影響が日本に及ぶのに抵抗しようとした歴史であったと言っても過言でない。家康をはじめ代々の将軍は日本人の生活を一つの型に固定させ、変化を防止しようと努めました。この試みは非常な決意を持って行われた。 信長と秀吉の建設的事業は中央集権のもとに日本の統一を目指したものでしたが、足利末期および戦国時代の耐え難い混乱ののちであったために一つの救いとして民衆から歓迎されました。家康が最後に覇権を握り、徳川氏は極めて鞏固な独裁を打ち立てることに成功しましたが、これは一部の外様大名が決して心底から協調しなかったのを除いては万人がほとんど感謝して全体主義的政治体制を受け入れた実例でもあり
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。