フレデイ タンさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
尹 相仁は 1955 年生まれ。ソウル大学教授。数名で『韓国における日本文学翻訳の 64 年』(出版ニュース社、二〇一二年)その引用
・解放直後の一九四五年から一九六〇年まで、日本文学は少なくとも公的領域からは完全に姿を消すことになった。李承晩政権の強力な排日政策によるものだった。
・日本文学が韓半島に再登場するのは、四・一九革命以後である。四・一九革命以後に対日文化政策が変化する中で、日本の小説が翻訳されると長安(ソウル)の紙価が高まった。五味川順平の『人間の条件』が先陣を切って六〇年に翻訳され、続いて石坂洋次郎の『制服の処女』と『若い人が一九六一年』に出版された(中略)。六〇年当時の論調から類推すると、日本小説の人気は国内作品を凌駕するほどだった。実際、石坂洋次郎の『雨の中に消えて』『あいつと私』『青い山脈』が、一九六三年の小説ベストセラーの一位、四位、六位を占めており、日本小説への偏向現象
私は小説を読むのが好きです。それも、大衆とか通俗とか呼ばれる小説が大好きです。大仏次郎、山本周五郎、五木寛之は殆ど全部読みました。村上春樹の名は頻繁に私の耳に響いてはいましたが、不思議に縁がありませんでした。友人が「1Q84」を勧めたのがきっかけで今ではレッキトシタ「ハルキスト」です。
大仏次郎、山本周五郎、五木寛之は私の目にはアナーキーです。大仏次郎は学生時代に有島武郎が主宰するクロポトキン研究会に参加していました。村上春樹もアナーキ―を描いていると私は考えています。そして徹底した個人主義礼賛の文学を追い求めているように私は感じます。
韓国の若者が春樹を好むのはそういう個人主義にやすらぎを感じて居るのではないでしょうか。私は老年ながら、韓国のそういうハルキストに親近感を持ちます。
Post