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フレデイ タンさん のコメント

私の答えは次の通りです。
問い1.
支配層にとっては自律的な社会勢力の成長は危険なものです。常にチェックし反抗の芽を摘み取ることが肝心。支配層の政治課題は、民主的でない限り、言うことを聞かない連中を弾圧することではないでしょうか。民主的でない権力とは権力者の強欲に基づく政治を行う権力のことです。
中央集権体制は、日本に於いては産業と言えば水田耕作だけだと言えますから、しかも、島国で、民族はヤマトンチューだけとなれば、古代から続く必然的な権力構造ではないでしょうか。戦後だって、蜷川知事が憲法をバックに地方自治を戦ったが、刺客が投入され失脚に追い込まれ、今や地方自治は根本から崩壊しています。
問い2
西欧の近代化はキリスト教との関連性を無視できない。西欧では個々の人間と神との契約が個々の人間存在の基盤にあるから、個が確立して行くのは必然です。そして、個の主体性が重要視される実存主義を生みだした。一方、日本には神との個々の契約概念は無い。そこに在るのは村単位の集団思考です。そのような社会構造はサルトルの哲学を批判して登場した構造主義哲学を支えていると言えましょう。日本は全体主義やファシズムに容易に転化する傾向を持って居ると言えましょう。
問い3
尽忠報国、滅私奉公だと思います。
No.1
83ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
アイゼンシュタットは一九二三年ワルシャワ生まれ。ヘブライ大学教授。ハーバード大学、スタンフォード大学等で客員教授。 ・明治国家の最大の特徴は、驚くべき速度で、高度な政治的・行政的中央集権が達成されたことである。行政の中央集権化は、幾つかの段階を経ながら、次の三つの特徴を備えていった。(1)統合の中心的権威としての天皇の名における支配、(2)統合的な中央官僚制による直接支配、(3)国民皆兵制、士族の廃止、統一的権利の制定における国民の平等。日本は何百もの大名の支配から統一国家へと姿を変えていく。江戸時代の半自律的な地方権力や法的伝統は、全国共通の法制度によって取って代わられ、中央権力が全国津々浦々に浸透していった。 ・明治日本の新しい政治制度の設立は、欧州の国民国家における国家建設の過程と似通っていた。いや、多くの点で日本はそれを模倣したのだった。 ・同時に、騒乱が多数起こったのも
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。