フレデイ タンさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
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・日本人が外に向かって(他人に対して)自分を位置づける場合、好んでするのは、資格よりも場を優先することである。記者とか、エンジニアであるということよりも、A社、S社の者ということである。(中略)「会社」は個人が一定の契約関係を結んでいる客体としての認識でなく、私の、またわれわれの会社であると認識されている。
・日本社会に根強く潜在する特殊な集団認識の在り方は「イエ」(家)の概念に代表される。・「家」よりも大きい集団としては、中世的な「一族郎党」の集団がある。
・「資格」の異なる者に同一構成員としての認識、その妥当性をもたせる方法としては、外部に対して、「われわれ」というグループ意識の協調で、それは外にある同様なグループに対する対抗意識である。「同じグループ成員」という情的な結びつきを持つことである。資格の差別は理性的なものであ
私は内外の文学を読むのが好きです。日本には私小説が他国に比較するととても多いように思うのです。日本人が縦社会にがんじがらめになって死にそうだから、私小説を読んで解放されたいと望んでいる、いた、からでしょう。そして、そのマーケットは小さく無く、私小説を書く作家を支えたのではないでしょうか。
私の好きな山本周五郎は会社で偉くなっている人や政界で高い地位にいる人が同席する集まりには参加しなかったということです。そのことを山本周五郎の欠陥性格だと非難する評論家がいますが、山本周五郎は小説の本髄はアナーキズムだと認識していた筈です。従って、小説家はアナーキストたるべきだと考えていたに違いない。ですから、支配者然とする偉い人とは同席しなかった。当然のことです。
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