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changeさん のコメント

アフガにスタンの歴史を少し広げないと実情がつかめず、少し調べてみた。

イギリス・アフガン戦争を経てアフガン王国、アフガン共和国で王制を廃止し、1979年のアフガン民主共和国になった。

転機は、イラン革命が勃発し、イランアメリカ大使館人質事件が起きたことであり、意図はわからないが、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、アミーンを暗殺した。米国は冷戦のさなかであり、ソ連の南下政策と受け取り、ハザーラに武器援助をしたため泥沼化した。この時から、外国が介入し、アフガニスタン内での対立が顕在化し紛争が絶えなくなった。

1996年にアフガニスタン・イスラム首長国タリバーン政権が誕生した。

1998年にアルカイーダ関与のケニアとタンザニアアメリカ大使館爆破テロ事件が起きた。爆破の首謀者がアフガにスタンに逃げ込み、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件とつながっていた。
この時から、国際的にテロ事件に対する脅威が共有されるようになっている。

問題を複雑にしているのは、国同士の戦争であれば、理由が明確化されるが、テロ事件は不特定多数殺害を突発的に起こすことであり、通常のやり方では、対応が困難である。米国が批判されるのは当然であるが、米国が世界の警察をやめたとき、今後このようなテロが起きたとき、どのような対応をするのであろうか。人権を無視すれば簡単であるが、米国、ロシア、中国の思惑が絡み合うと紛争解決がさらに複雑化し、紛争当該国は、食い物にされていくのでしょう。特にAIとかロボットが人間の仕事を奪っていく現象が起き始めており、世界的な格差が国を超えて起きてくるのであって、無慈悲な殺害が日常化することを否定できない。米国の問題に矮小化するのは正しくない。
No.6
53ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
A1  事実関係 ワシントンポスト紙記事「 At war with the truth U.S. officials constantly said they were making progress. They were not, and they knew it.   内容 ・ ワシントンポスト紙によって入手された政府文書は、米国高官は18年の戦争中アフガニスタンでの事実を語らず、間違っていることを知っていながらバラ色の声明を行い、戦争で勝利できない証拠を隠してきた。 ・ワシントンポスト紙は情報公開法によって インタビュー書類を入手した。 ・この インタビューで400名以上の内部の者が . アフガニスタンで何が間違っていたか、米国はどうして約二十年にわたる先頭に引き込まれたかにつき、何ら抑制されることなき批判を行っている。 ・ブッシュ政権、オバマ政権でホワイトハウスのアフガン戦争の親分として働いた D
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。