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りゃんさん のコメント

今回の記事についてですが、「アメリカが沖縄を長期にわたって軍事占領し続けることを希望する」という字面は衝撃的ですが、その前提に論理的に必要なのは、そして米国に要求しているとおもわれるのは、「日本が沖縄の主権を留保する」ということですね。日本に主権があるという留保がなければ「アメリカが沖縄を長期にわたって軍事占領し続けることを希望する」とはいえません。そのうえで、No1に書いた当時の事実としての歴史を考えるべきだとおもいます。

わたしの仮説は、戦争に勝った米国が沖縄を領有し続けようとするなかで、日本側からの妥協案として沖縄の占領は認めるが主権は日本に留保するという天皇メッセージがあった。しかしその努力は実らず、最終的にサンフランシスコ講和条約では沖縄への主権を奪われたというものです(No1に掲げたサンフランシスコ講和条約の条文をよく読んでくださいね)。

しかしその後の努力で、沖縄返還があり、日本は少なくとも天皇メッセージ+α の線くらいまでは沖縄に対する主権を現に回復した。そういう連続性のもとに天皇メッセージはとらえるべきだとおもいます。ま、仮説ですけどね。

ただし、きちんと意識されてないし、孫崎さんもよくサンフランシスコ講和条約でできた秩序を持ち出すわりには言わないけど、沖縄返還はサンフランシスコ講和条約といういったん確立した国際条約の線からみれば日本外交の大成果なんですよ。それを勝ち得るには、占領期からの一貫した方針があったと考えるほうが自然じゃないかとおもいます。今後の研究テーマなんでしょうね。

で、さて、今後沖縄に対するさらなる日本国の主権回復のためにどうするかというところで、ずっとその場で足踏みしているということにわたしの考えではなります。先人はよく努力したとおもっています。これから先はわれわれが考えなければならない。

わたしとしては、9条を改正して(わたしの考えは2項削除、1項は保持)、日米相互防衛条約を結んで、沖縄だけでなく全国の米軍基地を縮小してゆくという考えですが、なにか別の方法があれば、それだけにこだわっているわけではありません。

ただし日本は米国に敗戦した結果、軍事的にだけでなく、金融秩序など商売でもうける根本的な仕組みにおいて米国の属国になっているということを忘れるべきではないとおもいます。無礼デイさんはシンガポールでエアコンの行商をしていたらしいですが、その程度の商売の債権回収ですら、根本には米国中心の金融秩序があるから安心でき、その裏打ちをしているのが米国の軍事力ですね。いま無礼デイさんの貯金も、めぐりめぐって海外のどっかで運用されている可能性が高いと思うけど、それにも同じ理屈が成り立ちます。日本は自力では債権回収できない。そしてそれは、よく考えてみれば日本だけでもないんですけどね、日本は敗戦したから属国性が際立つけど、英仏もかなり組み入れられてるし、露中でさえそこを無視しては成り立たない。いまそれが多少ゆるぎ、さいきん、中国がとってかわろうという意思をみせているけれど、さて、うまくいくのかな。確実にうまくいくとわかってから米国から中国に乗り換えたっていいとおもいますけども。なんにせよ、それを決めるのはわれわれの世代です。人はいつか死にますが、世代全体でみれば老人世代から早く死にますからね。

ところで無礼デイさんかナチさんが、「とっとと米国中心の秩序から抜け出して日本をどういう国にするか」について今までこのブログの書き込みで打ち出した方針って「中国の下請けになる」「中国人観光客で食ってく」「ASEANのようになる(←NEW!)」ですからね。米国から中国の属国に変わるだけじゃないかということはおいておいても、われわれの世代としては、とてもそんなレベルの国が、無礼デイさん世代の老人福祉をやり遂げた上で、自分たちの資産形成ができるとはおもえない。老人福祉もASEANレベルっていうのなら、多少考えてみようかとおもいますけどね。それに、無礼デイさんたちって、何度も書いてますけども、パックス・アメリカーナによる日本の空前の(たぶん絶後の)経済的活況のなかで、そのいい面はたっぷり享受してきた人たちでしょ。一方パックス・アメリカーナの悪い面は直接自分の身には及んでないでしょ。それで老境にはいって、反米「だけ」を若い世代に訴えるのなんて、どうかとおもいますね。

ま、以上のようなことを書くと、また親米だとか自民党系だとか言われるんでしょうけども、
あ、あと日中関係は、日中平和友好条約で上書きされてますからね。知らなければしかたありませんが。
No.16
58ヶ月前
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『月刊日本一月号』、進藤栄一著:「天皇メッセージ」が決定づけた沖縄支配 ・ GHQ 内部では,ケーディスらのニューディーラーが大半を占める民生局( GS, Government Section 、「民生」という訳は多分不適、「政府部局」でしょう)の政策に対して、保守派のウィロビー率いる参謀部( G2 )が抵抗していました。ただし、 GHQ の外交局長(米国国務省の代表)のジョージ・ アチュソンは、リベラル派としてしられていました。 ―ところが1947年8月17日、アチュソンを乗せた飛行機がマニラ沖で墜落し、彼は宅明します。アチュソンの後を襲ったのはのが、日本の旧支配層と繋がりのあるシーボルトだったのです。この飛行機事故が謀略であった可能性は否定できません。( Wikipedia 、 George Atcheson, Jr. 、 Atcheson, while serving as Gen. Douglas MacAr
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。