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『月刊日本一月号』、進藤栄一著:「天皇メッセージ」が決定づけた沖縄支配
・ GHQ 内部では,ケーディスらのニューディーラーが大半を占める民生局( GS, Government Section 、「民生」という訳は多分不適、「政府部局」でしょう)の政策に対して、保守派のウィロビー率いる参謀部( G2 )が抵抗していました。ただし、 GHQ の外交局長(米国国務省の代表)のジョージ・ アチュソンは、リベラル派としてしられていました。
―ところが1947年8月17日、アチュソンを乗せた飛行機がマニラ沖で墜落し、彼は宅明します。アチュソンの後を襲ったのはのが、日本の旧支配層と繋がりのあるシーボルトだったのです。この飛行機事故が謀略であった可能性は否定できません。( Wikipedia 、 George Atcheson, Jr. 、 Atcheson, while serving as Gen. Douglas MacAr
この時の世界の情勢特にソ連はマーシャルプランに対抗して東欧陣営を固めた。「冷戦の兆し」は朝鮮は38度線を境にして南北の対立がはっきりしていた。GHQの民生局と参謀部で日本の方向付けで意見分かれたことは想像に難くない。同時に1945年から続いた極東裁判の判決が翌年に迫り、「天皇の戦争責任(戦犯)」に結論をGHQは出さざるを得なかったのでしょう。天皇メッセージ「アメリカが沖縄を長期にわたって軍事占領することを希望する」は衝撃的である。民生局主体で進められた憲法の精神「象徴天皇」でなく、最高権力者としての言葉である。この時に現在の憲法は壊れたといえるし、朝鮮戦争発生後GHQの指示で警察予備隊から保安隊そして現在の自衛隊というように憲法の精神が形骸化している。
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