りゃんさん のコメント
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英国大使館前の内堀通りと皇居の 半蔵濠の間に、長さ 450m 、横 20m の公園がある。桜時期にはライトアップされ、花見で賑わう。
場所がいいので、様々な用途に使われてようだ。公園内を歩くと、木々の間に「第一東京市立中学校 発祥之地」や「麹町高等小学校 校舎跡」「消防練習所跡」の碑がある。更に「英国大使デニングが1957年離任に際し,しだれ桜を植樹したのを記念して」の碑もある。
この公園には見晴らし台がある。5段上ると、半蔵 濠が見下ろせる。正面には皇居がある。うっそうとした木々で見えないが、天皇・皇后陛下の居住区はその先にあるようだ。人々はこの見晴台に立ち写真を撮り合う。
この一等地の見晴台の横に、「オリーブの木」が一本ある。淡い緑色の、小さいはっぱを多くつけている。実は見たことはない。この公園は絶えず警官が見回っているから盗まれたのではなさそうだ。調べたら、オリーブは「自家不和合性が有る
孫崎さんの問題意識にできるだけ沿って考えると、「世界の人々はレクサスが日本製だから買うのではない。誰が作ろうと、素晴らしいものを愛でる。」というのが当時の米国人の一部の考えだとしても、当時の日本人は、レクサスに日本的なものつくりやサービスの伝統(オリーブの木ということばで象徴できるもの)がこめられていて、それがグローバルに受け入れられたのだと考えたようにおもいます。
その考えがいいとかわるいとか、正しいとか正しくないとか以前に、それが当時の日本人のグローバリズムに対峙する姿勢だったのでしょう。
そしていま、チャイナ肺炎の猖獗を経て、Huaweiの5Gは、世界の人々にとって「誰が作ろうと、素晴らしいものを愛でる」とはならなかった。Huaweiの5Gの向こう側に、中国共産党政権の、他民族の「オリーブの木」に対する軽視や侵略性がグローバルに感じられた結果だとおもいます。そのように考えると、当時の日本人のグローバリズムに対峙する姿勢は、まちがっていなかっただろうとおもいます。
そのようなかたちで、レクサスが象徴するものと、オリーブの木が象徴するものとは結び付いている。
しかし、グローバリズムのもつ本質的な疎外性は、「オリーブの木」そのものがいったいなんであったかを曖昧にしてゆくのでしょうね。
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