フレデイ タンさん のコメント
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私は1966年に外務省に入り、ロシア語の習得を命じられて、1966年秋から67年夏まで英国陸軍教育学校、67年ロンドン大学スラブ語学部( School )で学んだ。後者の授業は私には合わず、家で『戦争と平和』を読んでいた。ただロシア文学のゼミには出かけた。 ここ では、英国人と結婚したきれいなルーマニア人女性と英国人女子学生の三人だけが参加していた。英国人女学生は一メートル七〇センチメートル位あったであろうか、飛び切り美人ではないが好感の持てる方であった。父は英国外務省高官という。この当時、夏や冬、春の休暇に私はパリ近郊の町ムドンのロシア人学校寄宿舎に行くことにしていた。この学校は休暇中一般の泊まり込みロシア語講座を開講していて、フランス人学生が集まる、そのほとんどがフランスの女性学生である。こんな素敵な環境はない。 ロンドン大学を去る時、その年の夏もムドンの夏期講座に出かけることを言うと、英国人
続き
大和民族の歴史を種々調べると表の嘘と裏の事実がある。まーどこの国でも大なり小なりそういう構造を持っているのは仕方ない。裏の歴史の代表的な報告が「新版雑兵たちの戦場」(著者:藤木久志氏)。それによると戦国大名は支配下の農民をも動員して他国を侵略した。農民は喜んでラッパとなって略奪、強姦、奴隷狩りを罪の意識なくやりたいほうだい行った。日本全体で阿鼻叫喚が続いたのだ。九州の島津の乱暴は特にひどかった。イエズス会の牧師が克明にローマに報告しているから事実だろう。その中の強姦。私のおじいちゃんたちの世代まで、若者の間で「夜這い」が風俗化していたからあり得る。
我が国の歴史であまり語られない豊臣秀吉の朝鮮征伐。天下統一した秀吉が悩んだのは、失業者になってしまったラッパたちの処遇だった。土木事業だけではとても対策はならず、大勢のラッパを朝鮮半島に向けて放ち、侵略事業に手を付けたのだ。お隣の李王朝は本当に困ったことだろう。放たれたラッパは強姦のみならず人狩りをも積極的に行いポルトガル商人に奴隷として売りさばいた。
大和民族はそういう歴史を持っている。日本の男性が、特に自民党の男尊女卑はそういう歴史と調和するものでは無いだろうか。
自民党の宗教、国家観は、ポンペオ達には実に美味しいことだろうが、朝鮮人、中国人、フィリッピン人、ベトナム人には絶対に受け入れられることは無い。新しい哲学と思想を今保有してる平和憲法と国連憲章に調和する日本人の魂を日本人は構築しないと永久に米国のコロニーから脱却できないし、アジアから孤立するばかりだろう。そして世界中で慰安婦像が立つことになるだろう。
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