りゃんさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
ソ連が崩壊した。世界の歴史を見ると、一旦王政が退けられ、再び王政が復活する例はしばしば起こる。ではロシアで、 仮に「皇帝」を復活させるとしたら、誰が「皇帝」に相応しいのか。プーチン大統領ではない。当然、ロマノフ朝の血統を継ぐ者となる。 2007 年の世論調査で「ロマノフ朝の復活に賛成の国民が 37% 」という報道もある。 1918 年 7 月 17 日午前 2 時 33 分、元皇帝一家 7 人(ニコライ 2 世、アレクサンドラ元皇后、オリガ元皇女、タチアナ元皇女、マリア元皇女、 アナスタシア 元皇女、アレクセイ元皇太子)は幽閉先のウラル地方エカテリンブルクで射殺され、直系の血筋は途絶えた。この内、アナスタシアが難を逃れ、米国に移住したという説がある。この説に基づき映画もある。 だが通説では直系は全て射殺されたとされている。では、直系がなき場合誰が皇帝になるのが相応しいか。フレデリック フォーサイス著『イコン』の中で、最適任者とし
わたしは右寄りと自称することはあるが、右翼とかネトウヨと自称したことはない。ネトウヨは蔑称(しかももともとの意味とはかけはなれている)だから論外だが、右翼であれば、自分にそのアイデンティティがあれば、右翼とよばれても別にいやではない。
しかし、本当に右翼なひとびととは、天皇についてのはなしがあわない。彼らの中には、簡単に、天皇に主権をかえすとかそれに似たことをいうひとがけっこう多い。しかしわたしは現在のようなありかたが、むしろ日本の(少なくとも江戸時代以降の)伝統であろうと考えている。
伝統であるという以上に、天皇とか国王がいることのひとつの「現代における」効果は、権威と権力とを分離できることだろう。いまの日本ではせっかく分離しているものを、ふたたび一緒にする必要はないとおもわれる。
天皇や国王の存在するもう一つの意味は、愛国心の中核になることであり、ロシアで国王が求められているとしたら、そちらの意味ではなかろうか。共産主義によって処刑された国王を、ナショナリズムに目覚めた国民が希求するというのは、共産主義とナショナリズム、そして共産主義と反ナショナリズム(グローバリズム)との関係に示唆するものがあろう。
Post