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p_fさん のコメント

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p_f
恐縮ながら「小説外務省」は気が付けば2冊とも未読。遠からず読んでみたい次第。
最近たまたま読んだ「島尾敏雄(1917-1986)全集-第14巻」-

“どうして小説を私は書くか━私の文学”

「結果として小説で私は世間(というよりもむしろ自分)と戦ってきた...なにかを書きあらわしたかったにちがいないが、そのなにかがするどい結晶のかたちでとらえられないことに、まず挫折していた。それは世間への不適応につながっている...(小説は)自分には手のとどかぬ作業に見えた...どれほど巧妙に、そして緻密にたてられても、つくりごとの構造は、逃げ水のように、追いかける先へ先へと移って行き、私のからだの中にひびきかえってこない、と思いたがり、そのおそれがあった...起伏を持って長く続きそのあとを手順よく追うことができるもの、それは私から勇気をうばい、敵方の顔つきを示しはじめる。自分では管理できず、検証し分類することができないものなどもみんな含めた領域の中でしか、私は規制されたくない。それは道筋などとてもつかみだせない、広く大きな全体だ。それをまるごと書きあらわせる様式がほしいと思ったのだったか。」

“モスクワにて━日ソ文学シンポジウムの私的記録”

「次にエレンブルグが立った...私がいちばん強い印象を受けた彼のことばは、かつて宗教が占めていた場所は、まだ空白のままのこされているが、それを芸術でうずめなければならない、という意味のそれであった...状況がゆるすなら、だまっていたいと思っていた。しかし...発言の準備をしなければならなくなった...私は自分がなぜ小説を書いてきたのか、はっきりわからない。折々に書きたくなって、彫刻師が木をとって何かを刻みつけるみたいに、現実を手にとって、ことばを刻みつけ、そしてけずりとってきた...かつての戦争のときトッコウタイとなって一年半のあいだ死を待ったが死は私をつかまえぬまま戦争は終わった...私にできることは、太った現実をけずって、やせ細った像にしあげるような仕事をくりかえすこと。もちろん死がはっきり私をつかんでくれるまでは・・・・・・というような草稿をつくった。」
No.4
45ヶ月前
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私達の人生に文学は何の価値があるのだろうか。  私の娘は今米国の大学の英文学科で、米国文学を助教授として教えている。  彼女がバージニア大学で博士課程の時、日本の著名な人に豪華な食事にご馳走になり「文学の研究って何の役に立つの」と疑わしそうに問われたそうだ。その時、娘がどう答えたかは失念した。  私達は小説を読む。私も『小説外務省』と銘打って、「小説」を二冊書いた。まさに「小説とは何の役に立つの」に答える義務がある。  私は今、ロシア(ソ連)作家 パウストフスキー をロシア語で読んでいる。正直言って、私はチェーホフよりパウストフスキーが好きだ。  彼の小説に『遥かかなたの年々』『不安定な若者時代』『未知なる世紀の始まり』の三部作の自叙伝がある(邦訳はほとんどない)。彼はキエフの裕福な家庭に生まれ、キエフ第一の高校に入り、文学で生きる決意をする。しかし、第一次世界大戦、革命が起こり、父母の離婚もあってどん
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。