changeさん のコメント
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1995年、ウズベキスタンに赴任していた時、経済混乱でロシア作家の全集が安く売られていた。いつか読む機会があろうかと思い買ったが、今、その時間が出来て20数年ぶりに読んでいる。最近はパウストフスキーの全集である。最初は線を引くのに躊躇したが、読み返したい場面に遠慮なく線を引き始めた。読んでいくうち、前の持ち主が、丁寧に線を引いている所に出会った。その内書き込みに出会った。「1935年」。「年」の字だ。ロシア人が書いたものではない、本は1969年に出版されているので、日本人捕虜でもない。当時日本人はまだ住んでいない。 1937 年8月 21 日ソ連党中央委員会の極秘決定で、極東の国境地域から朝鮮人追放が命じられた。 . 「極東地方への日本のスパイ活動の浸透を阻止するため、以下の措置をとること。 極東地方の国境地区の朝鮮人住民すべてを、カザフ、ウズベク移住させることを命ずる。」 更に、 1937 年 9 月 2
<彼らの過酷な運命は「日本」があったから生じた>
日韓併合は1910年から1945年まで続いた。併合の端緒は、韓国の近代化と儒教で国家体制が縛られており脱皮したいという韓国人の願望が強かったのではないか.「一進会」100万人署名を李完用首相に嘆願書として提出したが、伊藤博文は大反対した。韓国の近代化は韓国自身が成し遂げなければならないし、日本の国家予算を韓国のインフラなどの整備に費やさなければならず前向きなれなかったのは当然といえる。現実的に1905年から1945年まで国家予算の10%以上を韓国支援に支出している。併合によって韓国人が日本人から搾取されていたような状況でなく、台湾などと同じように韓国のインフレなど国家のために尽力したと捉えるべきでしょう。
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