p_fさん のコメント
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私は、1993年ウズベキスタンにいた時、タシュケントのナボイ劇場の建設に日本人捕虜が従事していたことは知っていた。だがウズベクの人に聞くと、日本人捕虜の墓地はタシュケントだけでなく、フェルガナ盆地やフェルガナ盆地に入る峠にもあるという。墓参することに決めた。11月ごろだったのだろうか。峠は吹雪になった。日本人墓地についた。現地で長い間墓守をしてくれているウズベク人が案内してくれた。勿論、日本政府が資金提供した訳でない。現地の人が善意で墓守をしてくれていたのである。墓守は老人である。「私の後、誰が継ぐのか不安です」と述べていた。個々の墓に名前があった。案内人は、「この近くに露天掘りの炭鉱がある。ここで日本人捕虜が働いていた。ご覧になりますか」という。墓守に従って炭坑に向かった。吹雪だった。やがて炭坑についた。寒い吹雪の中で、多分日本人捕虜は十分な防寒具もなかったろう。十分な食料もなかったであ
> 当時の大蔵官僚には、「日本の官僚組織に歪みがあれば、それは私達が治す」という使命感と気概があったと思う。
それは何も中央官僚だけでない。当時の一般大衆が腐っていたなら、「中央官僚だけは まとも」はあり得ない。
週刊読書人5/7号に次の件があった-
「日本の政治に問題があるとすごく腹が立つけれど、トルコの政治に問題があっても、それほど腹は立たない。そういう違いを感じるのは正直な気持ちなので隠しても仕方ありません。おそらく愛国心というのは、自分が育った国がどれだけ駄目な国かということを実感して苦しむ、ということなんですね」(作家/詩人・多和田葉子氏)
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