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changeさん のコメント

<天皇主権国家の樹立は、推古天皇の時代から目指してきた。>
孫崎さんの「ケガレ」の思想は面白い。勉強の機会を与えていただき、歴史を振り返ってみた。

大化の改新による国政改革は「律令国家」の建立であり、①民の管理、②土地の管理、③税金の管理の徹底であったが、皇位継承をめぐる対立がありなかなか解消しなかった。中央集権体制が進まなかった原因である。
天武天皇(大海人皇子)が大友皇子に圧倒的勝利を占め既得権益層を一掃し天皇の権威・権利を高める政策を打ち出せるようになった。持統天皇は夫の遺産を引き継いだということではないか。

火葬については、調べていくと。天武天皇以降8代は火葬されていない。
火葬については、儒教の影響が強く体に傷をつけることが罪深いことと見られていたようだ。あまり好まれなかったようだ。火葬すると強い火力が必要であり燃料代がかさむということもあり、一般的普及は明治時代になるようだ。土葬はスペイスがなくなってきたし、公衆衛生観念が強く働いてきたということではないか。
No.1
30ヶ月前
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孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。