記事へ戻る りゃんさん のコメント りゃん さらに、この【事実と虚構】という考え方自体が、古典的だと自分には感じられる (無意味だとか、間違いだとか言っているわけではありません)。 【事実】は、【理論】と切り離せない。ここでいう【理論】とは、いわゆる理論だけでなく、 【事実】を補強する考え方という程度の軽い意味のものまで含む。 たとえば、「視野のなかに赤い輝点がみえる」 といった程度の【事実】ですら、それを言っている人の目や身体やアタマの健康状態だとか、 その人が嘘つきかどうかと言う性格などについての【理論】とは切り離せない。 これはまあ、当たり前のことのようにおもうが、 古典的なラッセルや前期ヴィトゲンシュタインの認識論を超えて、 クワインやデビドソンなどが緻密に理論化するまでは、それほど当たり前とも言えなかったらしい。 No.28 22ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 『オーウェルの薔薇』より。「「全体主義下ではその手中にある多くの人の精神を破壊し、自分... 孫崎享のつぶやき 元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。 » このブロマガへ
りゃん さらに、この【事実と虚構】という考え方自体が、古典的だと自分には感じられる (無意味だとか、間違いだとか言っているわけではありません)。 【事実】は、【理論】と切り離せない。ここでいう【理論】とは、いわゆる理論だけでなく、 【事実】を補強する考え方という程度の軽い意味のものまで含む。 たとえば、「視野のなかに赤い輝点がみえる」 といった程度の【事実】ですら、それを言っている人の目や身体やアタマの健康状態だとか、 その人が嘘つきかどうかと言う性格などについての【理論】とは切り離せない。 これはまあ、当たり前のことのようにおもうが、 古典的なラッセルや前期ヴィトゲンシュタインの認識論を超えて、 クワインやデビドソンなどが緻密に理論化するまでは、それほど当たり前とも言えなかったらしい。 No.28 22ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 『オーウェルの薔薇』より。「「全体主義下ではその手中にある多くの人の精神を破壊し、自分... 孫崎享のつぶやき 元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。 » このブロマガへ
(無意味だとか、間違いだとか言っているわけではありません)。
【事実】は、【理論】と切り離せない。ここでいう【理論】とは、いわゆる理論だけでなく、
【事実】を補強する考え方という程度の軽い意味のものまで含む。
たとえば、「視野のなかに赤い輝点がみえる」
といった程度の【事実】ですら、それを言っている人の目や身体やアタマの健康状態だとか、
その人が嘘つきかどうかと言う性格などについての【理論】とは切り離せない。
これはまあ、当たり前のことのようにおもうが、
古典的なラッセルや前期ヴィトゲンシュタインの認識論を超えて、
クワインやデビドソンなどが緻密に理論化するまでは、それほど当たり前とも言えなかったらしい。
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