中庸左派さん のコメント
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A-1 「放送法巡る「内部文書」 政治的圧力の経緯検証を」(毎日新聞) 放送に求められる 「政治的公平」の解釈を巡る第 2 次安倍晋三政権内部のやりとりを記したとされる文書 を、 立憲民主党の小西洋之参院議員が 公表した。 放送法 4 条に定める「政治的に公平であること」について、従来は放送事業者の番組全体を見て判断すると解釈されてきた。 だが政権は 2016 年 2 月、「一つ一つの番組を見て、全体を判断する」との見解を示した。 当時の高市早苗総務相は、一つの番組だけで公平性を欠いたと判断する可能性に言及し、放送局の運用停止などをちらつかせて物議を醸した。 文書では 14 ~ 15 年、当時の礒崎陽輔首相補佐官が、問題視する特定の番組名を挙げながら、総務省に解釈の変更を迫る様子が詳述されている。安倍氏が「現在の放送番組にはおかしいものもあり、現状は正すべき」だとの発言をしたという記述もある。 松本剛明総務相は「解釈を変えた
「コメンテーター全員が同じ主張をしていた」ことが問題なら、「政治的公平」というのは、両論併記とか、少数意見の取り上げの有無であろう。
しかし、コロナ禍において、コロナ禍は茶番だ、マスクに効果はない、ワクチン接種は危険だ、という意見が両論併記されることは無かった。
同様にロシアウクライナ戦争でも、ウクライナも悪い、アメリカ帝国は武器供与するな、という反戦平和論は取り上げられることは無かった。
結局のところ、政権与党が言う「政治的公平」とは、権力による公式方針=政策に異議を差し挟まないレベルの報道のことを言うのであろう。
しかし、個人的に言うなら、テレビ等の放送メディアが権力と一体化して、権力と同じことを主張することの恐ろしさは、コロナ禍での自粛圧力やワクチン接種強要の風潮の中で身に沁みした。
特にワクチン接種に対して、異論が言えない、拒絶することへの白眼視のようなカンジは全体主義としか見えなかった。
なにが言いたいのかといえば、全体主義とは放送局だけの問題ではなく、政党や社会組織、国民全てが一つの方向しか見ていない問題。私はコロナ禍やロシアウクライナ戦争において、それを実感した印象をもっている。
だから、中露非難の論拠を「民主主義対専制主義」などいうキャッチフレーズを使用して言う人は、お目出度いというか信用できない。
こういうヒトは、普通に全体主義に加担するヒト、というのが私の直感である。
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