p_fさん のコメント
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出会いで忘れられない人がいる。その最たる人はジョセフ・ウイルソンだ。 1988年、私はイラン・イラク戦争の真っ最中の中で、在イラク大使館の次席として日本大使館にいた。 G7 の大使館の次席が月一回集まり、イラン・イラク戦争の検討を行っていた。米国大使館の次席にジョセフ・ウイルソンが赴任してきた。自己紹介の中で、彼は「自分の大学の専攻はサーフィンだ。カリフォルニアの海にはいい波がある」と述べた。同伴者を紹介した。フランス人である。「最初に会ったのが前任地のアフリカのゴルフ場。彼女が一緒にいてくれて、アルバトロスが出てね。幸運をくれる女性だよ」と述べた。「戦地で赴任の希望者がばく、米国はふざけた外交官しか送れないのか」が私のが第一印象だった。 戦争が終り私はカナダに赴任した。その後、イラク戦争が起こった。サダム・フセインは外国人を人質として主要な施設に送り「盾」にした。米国人が大使館に逃げこんだ。イラ
ご両親はジャーナリストだったそうで、ウィルソン氏が反骨精神を育む上で少なからず影響を与えたのでないか。
> だが最後はチェニーに敗れ、孤独の中で死んでいった。
以前のブログ記事では次の結びであった-
「かつての英雄も誰も助けない。米国で最も権力を持っていたチェニーに戦いを挑んだ男は経済的に締め上げられ死んだ」
最後に勝つのはワルだ―この結末には全く不満である。何やら、映画「ニュースの真相」も脳裏を過ぎる。「誰も助けない」のは何故だったのか。日本じゃあるまいし。
一方、ガーディアンには次が出ていた-
<ウィルソンは著書の中で、イラクで亡くなった米国人についてこう書いている。「戦争という行為は民主主義国家の最後の選択肢であり、国家の安全保障に重大なリスクがあるときに取られるものだ。」「我々には、彼らの犠牲が正しい理由のためになされたことを確認する義務がある」>
RFKJr氏にも同じマインドを感じるが、それはウィルソン氏と同じ「危険な」戦いを挑んでいるということだ。
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