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p_fさん のコメント

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p_f
以前にも紹介されたウィルソン氏のエピソードから「天衣無縫の豪胆者」をイメージしたが、今しがたガーディアン紙の追悼記事を見たところ、面持ちは想像と違った。知的でハンサムな紳士であった。
ご両親はジャーナリストだったそうで、ウィルソン氏が反骨精神を育む上で少なからず影響を与えたのでないか。

> だが最後はチェニーに敗れ、孤独の中で死んでいった。

以前のブログ記事では次の結びであった-

「かつての英雄も誰も助けない。米国で最も権力を持っていたチェニーに戦いを挑んだ男は経済的に締め上げられ死んだ」

最後に勝つのはワルだ―この結末には全く不満である。何やら、映画「ニュースの真相」も脳裏を過ぎる。「誰も助けない」のは何故だったのか。日本じゃあるまいし。
一方、ガーディアンには次が出ていた-

<ウィルソンは著書の中で、イラクで亡くなった米国人についてこう書いている。「戦争という行為は民主主義国家の最後の選択肢であり、国家の安全保障に重大なリスクがあるときに取られるものだ。」「我々には、彼らの犠牲が正しい理由のためになされたことを確認する義務がある」>

RFKJr氏にも同じマインドを感じるが、それはウィルソン氏と同じ「危険な」戦いを挑んでいるということだ。
No.5
10ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
出会いで忘れられない人がいる。その最たる人はジョセフ・ウイルソンだ。 1988年、私はイラン・イラク戦争の真っ最中の中で、在イラク大使館の次席として日本大使館にいた。 G7 の大使館の次席が月一回集まり、イラン・イラク戦争の検討を行っていた。米国大使館の次席にジョセフ・ウイルソンが赴任してきた。自己紹介の中で、彼は「自分の大学の専攻はサーフィンだ。カリフォルニアの海にはいい波がある」と述べた。同伴者を紹介した。フランス人である。「最初に会ったのが前任地のアフリカのゴルフ場。彼女が一緒にいてくれて、アルバトロスが出てね。幸運をくれる女性だよ」と述べた。「戦地で赴任の希望者がばく、米国はふざけた外交官しか送れないのか」が私のが第一印象だった。 戦争が終り私はカナダに赴任した。その後、イラク戦争が起こった。サダム・フセインは外国人を人質として主要な施設に送り「盾」にした。米国人が大使館に逃げこんだ。イラ
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。