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フレデイ タンさん のコメント

野坂昭如氏はベストセラー作家の五木寛之氏に反戦で立ち上がれと激を飛ばしたが、五木氏は反戦で立ち上がることは無かったのです。五木氏はその理由を明かすことはありませんが、半島の植民地で育ち、戦後引き上げて来た日本は国家が崩壊し米国の植民地なのに妙に開放感を覚えたことを正直に吐露しているのです。彼は米軍が拠点にしていた横浜を心底愛しているように見えます。

野坂氏は日本の知識人がだらしないから、あの無茶な戦争を止められなかったのだと嘆き、亡くなるまで日本の知識人の責任を問い続けた人です。

現在、日本の知識層の殆どが五木流に堕し、それだけだとまだましだが、嫌中嫌露で固まってしまってます。その勢いもあってか、靖国神社が復活し、軍国日本が名実共に成立する勢いです。
No.3
8ヶ月前
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野坂昭如氏 は 一九三〇年生まれで、二〇一五年一二月に亡くなられた。 「黒の舟歌」をサングラスかけて歌う姿が野坂昭如氏である。 「男と女の あいだには 深くて暗い 河がある 誰も渡れぬ 河なれど エンヤコラ今夜も 舟を出す  ROW & ROW ROW & ROW  振り返るな ROW おまえ十七 俺十九 忘れもしない この河に ふたりの星の ひとかけら ながして泣いた 夜もある あれからいくとせ 漕ぎつづけ 大波小波 ゆれゆられ 極楽見えた こともある 地獄が見えた こともある」   野坂昭如氏は破天荒な人生を送り、どこが核心なのか把握できない人であった。 一七歳のとき、下宿先の親戚の家で窃盗を働いて少年院に送致されたり、「元祖プレイボーイ」として脚光を浴びたり、小説「エロ事師たち」で颯爽と作家デビューを果たしたり。 他方で、日本レコード大賞作詞賞( 1963 年)、直木三十五賞( 1967 年)。講談社エッセイ賞( 1985
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。