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NakaBBさん のコメント

魂を慰めるということは、本当はどんなことなんでしょうね。戊辰戦争で死んだ会津の藩士は、本当に薩摩長州に恨みを懐いて死んでいったでしょうし、お国のために命を捧げた若者の心は誠実なものだったろうと思います。人の霊魂を信じるかどうかは人のよって異なるでしょうが、ただ言えることはそういう無念な思いを持って死んでいった人を大量に作り出した原因は何も解決していないということです。もちろん利害の対立を乗り越えなかった欲望、闘争心、愚かさはあるでしょう。でももっと言えば人の死をもっと計算高く利用した人間たちがいることです。そういう意味では福沢の視点も感心できないところはあります。そして今や戦争はビジネスになった。そういう視点を人間は持ち得るということです。そういう考え方を受け入れてしまえば、抜け出すこともかなり難しいだろうと思います。我々は誰でもサイコパスになりえる。そして安っぽいヒューマニズムではない、もっと説得力のある考え方とは何なのか、フレディは考える必要がある。僕はわからないので誰かに教えてもらいたい。
No.10
121ヶ月前
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  「高市早苗総務相、山谷えり子拉致問題担当相、有村治子・女性活躍相の3閣僚は18日、秋季例大祭が行われている東京・九段北の靖国神社にそれぞれ参拝した。 高市氏は参拝後、記者団に「国策に殉じられて、尊い命を落として、国の存立を守ってくださった方々に感謝の気持ちと哀悼の誠をささげた」。山谷氏は「国のために尊い命を捧げられたご英霊に対し、感謝の誠を捧げた。平和な国造りをお誓い、お約束してきた」と語った。」 ( 18日朝日 ) 第2次世界大戦、英霊を敬うという言葉で、如何に満州、中国などの侵略的行動を正当化してきたか。 私は今、日露戦争から真珠湾まで学び始めているが、幾つかの事例。 1: 1913 年 9 月 5 日、外務省政務局長阿部守太郎が、赤坂霊南坂坂の自邸門前に於いて、二人の暴漢に襲われ、短刀で刺されて、翌日死亡しました。ほぼ初めの暗殺事件です。 1911 年に辛亥革命が勃発し、日本はその対応が問
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。