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ちょこ太郎さん のコメント

福沢諭吉「戦死者の大祭典を挙行すべし」
「もし大元帥陛下、明治天皇が自ら靖国神社に来て大祭典をあげてくれれば、戦死者は地下で、ヨミの国で天皇の恩がいかにありがたいか、感謝するであろう。また遺族はその名誉に感涙にむせんで父兄の戦死を喜ぶであろう。また一般国民は、万一ことあらば、天皇の国のために死ぬことを希望するようになるであろう。そのためには多少の費用は惜しむにたらず。全国の遺族を靖国神社に集めなさい」
何故こんなことを言ったかというと、日清戦争で台湾が割譲されたわけですが、その
台湾制圧で多くの戦死者を出してしまって国民の不満がたまってしまった訳です。
更に、これからまだまだ戦争は起こる。そのために、
「次に再び戦争になったときに、何に依拠して国を守るべきか。それはとにかく、死を恐れず、命を捨てても戦う。そういう兵士の精神に頼らなければ国を守ることはできない。だから、ますますそのような精神を養うことこそが国を守るための必須のこと、重要なポイントである。」と。
「そのような精神を養うためには、可能な限りの栄光を戦死者とその遺族に与えて、戦場に死ぬのが幸福であると感じさせなければならない。」
と、諭吉先生はおっしゃってます。
「馬鹿と片輪(かたわ)に宗教、丁度よき取り合わせ」(福沢諭吉全集 第20巻232頁)
ともw
もともと、靖国神社は戊辰戦争の官軍の死者だけを祀る神社でした。
それが、こんな役割を持つようになったのですね。
こんなシステムを考案した諭吉先生って本当にすごい方だと思います。
靖国詣での閣僚の方々は当然こんな事はご存じなのでしょう。

No.8
122ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
  「高市早苗総務相、山谷えり子拉致問題担当相、有村治子・女性活躍相の3閣僚は18日、秋季例大祭が行われている東京・九段北の靖国神社にそれぞれ参拝した。 高市氏は参拝後、記者団に「国策に殉じられて、尊い命を落として、国の存立を守ってくださった方々に感謝の気持ちと哀悼の誠をささげた」。山谷氏は「国のために尊い命を捧げられたご英霊に対し、感謝の誠を捧げた。平和な国造りをお誓い、お約束してきた」と語った。」 ( 18日朝日 ) 第2次世界大戦、英霊を敬うという言葉で、如何に満州、中国などの侵略的行動を正当化してきたか。 私は今、日露戦争から真珠湾まで学び始めているが、幾つかの事例。 1: 1913 年 9 月 5 日、外務省政務局長阿部守太郎が、赤坂霊南坂坂の自邸門前に於いて、二人の暴漢に襲われ、短刀で刺されて、翌日死亡しました。ほぼ初めの暗殺事件です。 1911 年に辛亥革命が勃発し、日本はその対応が問
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。